| 二〇二五年度(令和七年度)上代文学会 一月例会 ご案内 | |
|---|---|
| 日 時 | 2026年(令和8年)1月10日(土)午後2時~午後5時30分 |
| 会 場 | Zoomによるオンライン開催 参加を希望される会員の方は、12月中旬頃郵送の案内状に記載の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。開催前々日までにURL等、参加に必要な情報を返信致します。遠方の会員の皆様もぜひご参加ください。 |
| 研究発表 |
七夕歌当事者詠の性格
関西大学大学院博士課程後期課程 内 俊晴
(司会 武庫川女子大学教授 影山 尚之)
『古事記』上巻における「御子」「子」の考察
北海道大学大学院博士後期課程 山上 直
(司会 明治大学教授 伊藤 剣)
○研究発表終了後、常任理事会をオンラインで開催します。 〒214-8580 神奈川県川崎市多摩区東三田2丁目1―1
専修大学 3号館3612 大浦研究室内 上 代 文 学 会 |
| 発表要旨 | |
|---|---|
|
七夕歌当事者詠の性格 内 俊晴 『万葉集』七夕歌は、天上の恋の伝説を詠む歌であり、その多くが秋雑歌に配列されている。そして、それらは当事者詠(牽牛、織女詠)と第三者詠とに分類できる。 当事者詠、特に人麻呂歌集七夕歌において、それらは恋歌的な性格を有することが、稲岡耕二氏ら諸氏の論によっていわれてきた。他方、秋の歌としての側面を捉えた論には、七夕を秋の景物と把握すべきことを指摘した大浦誠士氏の論があげられる。 これら従来の議論では、七夕歌全体の性質を通観することに重きが置かれ、当事者詠の表現の性質については検討が尽くされたとはいいがたい。そこで、本発表では、当事者詠に注目して牽牛詠と織女詠とを比較し、それらの性格を探る。 当事者詠は、恋の伝説の登場人物になりかわって詠うという性質上、多かれ少なかれ恋歌としての造形を有すると想定される。そこで、男女両方の恋歌に典型的な語である「恋ふ/ひ」と、恋歌では女性詠に特徴的であり、かつ七夕歌においては牽牛詠にも多くあらわれるに「待つ」とに着目し、その出現状況を相聞歌(譬喩歌等も含む)と比較する。 「恋ふ/ひ」は、相聞歌にあって男女いずれの立場でも約二割の歌にあらわれる。織女詠も同様の傾向を示すが、牽牛詠においてその割合はきわめて低い。他方、「待つ」について、その対象をみると、相聞歌と織女詠は人を待つのに対して、牽牛詠は秋という時節を待つ、という違いがある。 このように、織女詠が相聞歌に近いものと理解できる一方で、牽牛詠にはひとりで居るときのつらさや相手への想いを詠むという相聞歌的な造形よりもむしろ、ある時節の到来を心待ちにするという季節歌的な性格が見出されるのである。つまり、七夕歌当事者詠は、牽牛織女共に同じ七夕のさだめの下にあるのにもかかわらず、織女詠には相聞歌、牽牛詠には季節雑歌の枠組みが利用されているといえる。 | |
|
『古事記』上巻における「御子」「子」の考察 山上 直 「御子」は、上代文献の中でも『古事記』に特徴的な表現の一つで、上巻に二三例、中巻に一一八例、下巻に六〇例、計二〇一例ある。しかし、先行研究では、中・下巻の系譜的な記事における「御子」の考察が中心で、上巻を起点とする『古事記』全体の作品的構造への視点が不足している。特に、吉井巌氏が『天皇の系譜と神話 三』(塙書房、一九九二年)で提示した、『古事記』の基本軸〈天神―天神御子―天皇〉に関わる「天神御子」や、類似表現の「天神之御子」の「御子」について、十分に考察されているとはいえない。 そこで、本発表では、上巻の「御子」「子」の用例を〈地の文〉と〈会話文〉とに分類し、敬語接頭辞「御」の示す敬意の方向と関連づけながら、その使い分けの意義を考察する。 具体的には、〈地の文〉と〈会話文〉とで「御子」と「子」の使い分けの基準が異なることを明らかにする。〈会話文〉では、使い分けは登場人物間の敬意に依拠する。特に注目されるのは、「コトヨシ」(言因/言依)の中で天照大御神が、葦原中国の正当な統治者に委任した自分の子を「我が御子」と呼ぶことである。これは自尊敬語ではなく、統治者たる子自身に対する敬意であって、葦原中国側の神々に向けて、その統治の正当性を強調し服属を促す機能を持つ。一方、〈地の文〉では、一般に子は「子」と記されるが、「御子」は『古事記』の主題に関わって限定的に用いられる。すなわち、前述の天照大御神の委任と服属の物語に対応し、葦原中国の正当な統治者、あるいは、統治者となりうる血統に対してのみ、子は「御子」と記されるのである。 これらの考察結果から、上巻における「御子」の定位は、天照大御神の「コトヨシ」に端を発し、王権の正当性(正統性)を明示する意図のもとで用いられていることが明らかになる。本発表により、『古事記』の作品的構造を「御子」というキータームから再解釈する新たな視点が提示できるだろう。 | |
| 二〇二五年度(令和七年度)上代文学会 七月例会 ご案内 | |
|---|---|
| 日 時 | 2025年(令和7年)7月12日(土)午後2時~午後3時15分 |
| 会 場 | Zoomによるオンライン開催 参加を希望される会員の方は、6月中旬頃郵送の案内状に記載の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。開催前々日までにURL等、参加に必要な情報を返信致します。遠方の会員の皆様もぜひご参加ください。 |
| 研究発表 |
『日本書紀』「板挟みになる女」二題 ―狭穂姫と衣通郎姫―
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程 木下 優友
(司会 相模女子大学教授 山田 純)
○研究発表終了後、常任理事会をオンラインで開催します。 〒214-8580 神奈川県川崎市多摩区東三田3丁目1-1
専修大学 3号館3612 大浦研究室内 上 代 文 学 会 |
| 発表要旨 | |
|---|---|
|
『日本書紀』「板挟みになる女」二題 ―狭穂姫と衣通郎姫― 木下 優友 『本発表では、『日本書紀』の狭穂姫と衣通郎姫の人物造型について、それぞれ別の角度から検討する。両者の間には、天皇である夫と肉親との間で板挟みになり、苦悩するという共通点がある。特に、狭穂姫の場合、『古事記』と比較して、その苦悩を描くことに重点があるように見受けられ、こうした「板挟みになる女」はひとつの類型となっているように思われる。 狭穂姫について、検討の端緒としたいのは、狭穂彦が狭穂姫に謀反への加担を求める発言中にある「夫以色事人、色衰寵緩」という一節である。『書紀集解』以来、『史記』呂不韋伝が類句として指摘されてきたが、『漢書』外戚伝上により一致度の高い文があり、さらにその前後にはほかにも垂仁紀と類似する語句がある。直接の影響関係を認めうるかは断定しかねるが、このように漢籍に出典を持つような表現が、謀反人の言葉に用いられていることの意味を考えたい。漢籍らしい文句を用いながら謀反の意志を長々と語ることで、狭穂彦の決心に重みが生じ、兄と夫の間で板挟みになる狭穂姫像が強調されているのである。 衣通郎姫について検討したいのは、衣通郎姫の発言「因妾以恒恨陛下。亦為妾苦。」(允恭八年春二月条)の訓読、すなわち解釈である。大系では〈妾に因りて恒に陛下を恨みたまふ。亦妾が為に苦びたまふ。〉と訓読しており、諸本・諸注釈ともに同様の解釈をしている。しかし、〈妾に因りて以て恒に陛下を恨みたまふ、亦た妾が苦しびと為る〉と訓むべきではないか。従来の訓では、「苦」の主体は皇后であったが、〈妾が苦しびと為る〉と訓めば、心を痛めているのは衣通郎姫自身ということになる。改訓の根拠として、まず允恭紀の属するβ群中に類似する構文の見いだせることが挙げられるが、そのように読んだ方が天皇と肉親の間で板挟みになり心を痛める女という衣通郎姫の造型がより明確になる。 なぜこのような「板挟みになる女」が描かれるのか。それに近い状況に置かれる人物が少なからず実在したという事情もあろうが、天皇だけでなく肉親に対する愛情を持つことが、后妃の資質として重視されているように思われる。忠が孝の延長線上にあるように、肉親に対する愛情は、天皇や人民に対する愛情にも通ずるものがあるという論理ではなかろうか。 | |