大会案内


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新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、今年度大会も対面/オンライン併用で開催いたします。
詳細は、別途お送りする大会案内でご確認下さい。皆様のご参加をお待ちしております。
なお、今後の感染状況によりましては、全面オンラインとなる場合もあります。 HPで最新情報をご確認下さい。



2023年度(令和5年度) 大会案内
期  日 令和5年5月20日(土)、21日(日)、22日(月)
会  場 20日(土)フェリス女学院大学フェリスホール
神奈川県横浜市中区山手町37
JR京浜東北(根岸)線「石川町駅」みなとみらい線「元町・中華街駅」
下車徒歩各10分
21日(日)鶴見大学会館
神奈川県横浜市鶴見区豊岡町3‐18
JR京浜東北線・鶴見線「鶴見駅」下車徒歩二分、
京浜急行線「京急鶴見駅」下車徒歩五分
※土曜と日曜で会場が異なりますのでご注意下さい。
日  程 ※当日の進行によって、時間が前後する場合がございます。
― 20日(土) ―
理事会 (午後0時30分~1時30分)
講演会 (午後2時~4時30分)

学会挨拶 大会運営校挨拶 「琴歌譜」発見百年によせて 季節の到来―万葉から新古今へ―
上代文学会賞贈呈式 (午後4時30分~4時40分)
総会 (午後4時40分~5時30分)
懇親会 山手十番館(午後6時~)
21日(日)
研究発表会 (午前10時~午後4時30分)
《午前の部》午前10時~

前采女の「風流」 ―『万葉集』巻十六・三八〇七左注の検討を通して
仙覚『萬葉集註釈』所引「多氏古事記」の位置
―休 憩―

《午後の部》午後一時~

『住吉大社神代記』の垂仁天皇記事―景行・成務・仲哀を含まない天皇系譜―
『日本霊異記』上巻第十縁考

―休 憩―(午後2時40分~3時)

「喩族歌」長歌末尾の表現

『万葉集』における「喚辞」
22日(月)
臨地研修 ※特にご案内は致しません。

☆大会申し込みなどについては、別途ご連絡の大会案内をご参照ください。

☆参加申込
・次からお申込み下さい。例年は大会参加費をいただいておりますが、
今年度はハイブリッド型の開催形式であることから参加費の徴収を行わないことに致しました。
   https://forms.gle/CvAW1AdFesLsWtsT9

大会研究発表要旨
前采女の「風流」 ―『万葉集』巻十六・三八〇七左注の検討を通して

 『万葉集』巻十六・三八〇七歌左注によれば、「風流」たる前采女が左手に觴を捧げ、右手に水を持ち、怒れる葛城王の膝を撃ちつつ安積香山の歌を詠じたという。先行研究では前采女の「風流」を都会風に解するのが一般的であり、「洗練」(新大系)、「教養」(新潮集成)といった形容の為されることもある。しかし、「撃膝」という性的な所作に着目するならば、「洗練」「教養」といった形容は適切さを欠くのではないか。また、都市の作法を鄙におし拡げる礼楽的秩序の執行者として前采女を捉える考え方(池田三枝子「風流侍従長田王考」『上代文学』六九)も、同様の見地からは首肯しがたい。儒教道徳からすれば男女間の過剰な親密さは認められるものではないからである。
 それでは、前采女のわざを所謂「好色風流」の系統に位置せしめるべきか。巻五「松浦河に遊ぶ序」や巻六・一〇一六などは仙女と官人との高踏的な交歓を題材とするが、性的内容に踏み込むことについては抑制的である。それに対し前采女は仙女に擬せられる訳でもなく、また「撃膝」というあからさまに性的なしぐさが語られもする。前采女の「風流」は神仙思想に彩られた「好色風流」とも異なると言わざるをえない。
 このように、日本において受容された風流の二つの流れ(儒家的風流と神仙的風流)とは一線を画する前采女のわざが「風流」とされるのは何故か。それは「風流」の本質とかかわるだろう。中国における「風流」は儒家的道徳の感化力や礼法を顧みない闊達さ・性的な放縦さなどを指して用いられており、排反する二つの志向性を包み込むが、それは「風流」が「凡俗からの傑出」を本質とするからだ。「風流」は可変的な「俗」に対応して変容する動態なのである。
 かかる「風流」の本質を踏まえ、発表者は礼的秩序という権威=「俗」と対峙する「風流」として前采女の振る舞いを捉える。「風流」は権威と結びつくとき、それ自体が通俗に堕しかねないというジレンマを必然的に抱え込むはずだ。前采女のわざは、聖武朝を盛期として権威化した儒家的風流を相対化するもう一つの「風流」だったのである。




仙覚『萬葉集註釈』所引「多氏古事記」の位置


 「多氏古事記」は仙覚『萬葉集註釈』(仙覚抄)と『釈日本紀』に一例ずつ引用が見られる逸書である。現存『古事記』の内容・文体と異なることから、『古事記』の成立と関わって論じられてきた。
  仙覚抄では『萬葉集』巻第一の一七番歌において「味酒三輪乃山」の語義解釈を行うなかで引用されている。『土左国風土記』に続けて「多氏古事記」が引用されていることから、古事記研究では、山上伊豆母や大和岩雄が古風土記に既に引用されていたと解釈しており、武田祐吉や徳田浄、上田正昭、西宮一民なども、風土記所引の「多氏古事記」として説明する。これに対して、風土記研究では、狩谷棭斎の『採輯諸国風土記』が既に風土記の本文ではないとしており、現在も『土左国風土記』とは切り離して捉えられている。ただし、いずれもその根拠を示しているものは見当たらない。
  萬葉集研究では、現在は「多氏古事記」を用いて解釈することもなくなったが、契沖や荷田春満が「綜麻」の改訓に用いたため、以降一八番歌注に引かれるようになっていた。ただし、仙覚抄の版本や宮内庁書陵部本(351・490)が、「多氏古事記」を含む前後一九字を目移りによって落としており、宣長・契沖・春満は、『土佐国風土記』と言いつつ「多氏古事記」の本文を引用している。このことから、仙覚抄中の「多氏古事記」を知らないまま、本文を受容したものと考えられる。
  本発表では、古事記研究・風土記研究・萬葉集研究で、三者三様の扱いとなっている「多氏古事記」の位置づけについて、これまで、仙覚抄から切り離して検討されてきていたものを、改めて仙覚抄の引用に置き直して検討する。これにより、「多氏古事記」の引用が、仙覚に近い時代に付記された可能性を風土記の受容を踏まえて示す。また、「多氏古事記」が記紀を折衷したような本文をもつことについて、『日本書紀』の権威により再生産された氏族伝承に位置付けることで説明する。



『住吉大社神代記』の垂仁天皇記事―景行・成務・仲哀を含まない天皇系譜―


 住吉大社の古縁起『住吉大社神代記』は、坂本太郎「住吉大社神代記について」(『国史学』第八十九号、一九七二年十二月)における評価に代表されるように、誤りの多い書物と見なされてきた。しかし、単に〈『神代記』の誤り〉として捨て置いてしまっては読み誤るような箇所も存在することは、拙稿「「令三軍神」考―『住吉大社神代記』における『日本書紀』利用の問題をめぐって―」(『上代文学』第百二十九号、二〇二二年十一月)の「令三軍神」をめぐる議論の中で指摘した通りである。本発表では、その「令三軍神」のような『神代記』前半部の『日本書紀』利用記事のみならず、後半部の『神代記』独自記事の中の、坂本論で誤りと扱われたいくつかの箇所にもまた、〈『神代記』の誤り〉と捉えていては見えてこない重要な所伝が隠れていることを指摘する。
 問題となるのは、後半部の「山河奉寄本記」「八神男八神女供奉本記」などの、部分的に『日本書紀』と類似する内容を持つ記事である。坂本氏はこれらの記事について、『日本書紀』との比較から、景行天皇を垂仁天皇と誤っている、『日本書紀』を不自然な形で利用している、といった点を挙げ、低い評価を下す。それに対し本発表では、「御封奉寄初」「膽駒神南備山本記」「天平瓮奉本記」「明石郡魚次浜一処」などの『神代記』後半部の他の記事を参照しながら読むことで、「山河奉寄本記」などの記事が垂仁天皇に関して『日本書紀』とは異なる物語を記していること、そしてその『神代記』独自の垂仁天皇の話が、垂仁天皇と神功皇后を同時代の人物とする―景行・成務・仲哀の三代が存在しない―ものになっていることを示す。このうち、タラシヒコの名を持つ三代が天皇系譜に含まれないという部分は、諸先行研究において『古事記』『日本書紀』内部の矛盾などから導き出された天皇系譜の古態に関する見解とも符合するもので、『古事記』や『日本書紀』を考える上でも興味深いものと言える。



『日本霊異記』上巻第十縁考


 『日本霊異記』上巻第十縁は、人間が、生前行った悪行のために死後牛に転生して労働させられるという、いわゆる〈化牛転生譚〉のひとつとして扱われてきた。『日本霊異記』には多数の〈化牛転生譚〉が存在するが、本話は、『日本霊異記』の中で、唯一、動物が人間と直接会話をするという場面がある。この点を違和として表出して指摘したのが『扶桑略記』で、「斯条頗叵信用。夫畜生之言語。劫初時同人。豈臨像法末。輙有正音哉。若以夢內之妄想,誤録覚前之実語矣。後覧取捨」と指摘している。その違和は、出雲路修校注の『新日本古典文学大系』にも共有されている。
  また、本説話の特徴は、牛が、自分の言うことが真実であることを証明するために、座敷を用意してもらえれば、そこに座ると誓約する場面があることである。このモチーフは、漢訳仏典にも見られるもので、例えば、『仏説鸚鵡経』(『大正新脩大蔵経』第一巻)では、「鸚鵡摩牢兜羅子」は「白狗」を飼っていたが、世尊に、この「白狗」は生前は人間で、お前の父「兜羅」だったのだと指摘される場面がある。父は生前のよくない行動によって「白狗」に転成したのだという。そこで「鸚鵡摩牢兜羅子」は「白狗」に、もしお前が「本生時」に「我父兜羅」ならば、「床褥坐」に座れと命ずる。すると「白狗」は本当に座ったので、「鸚鵡摩牢兜羅子」は世尊の言葉を真実だと知る、という箇所がある。『日本霊異記』上巻第十縁での特徴である、動物と人間との直接の会話や、座上にすわって生前人間の父だったことを証明する描写などは、漢訳仏典の影響を受けていることが考えられる。
  本発表では、『日本霊異記』が、中国古典、中国仏教関係資料のみならず、天竺(インド)を舞台とした漢訳仏典の影響をも強く受けていることを論じたい。



「喩族歌」長歌末尾の表現


 万葉集巻二十に収められた大伴家持の「喩族歌」の長歌末尾には、「あたらしき 清きその名そ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる ますらをの伴」(20・四四六五)とあって大伴氏が清らかな名を保ってきた名族であることを述べて、軽挙妄動を慎むように諭している。  この一連の構文は、先行する「天皇賜酒節度使卿等御歌」の反歌(6・九七四)が「ますらをの 行くといふ道そ おぼろかに 思ひて行くな ますらをの伴」とうたう、その表現の運びと酷似している。この歌は天平四年の節度使派遣にかかわるもので、「天皇」は聖武天皇と考えられる。家持の「喩族歌」には聖武天皇の詔勅の表現に学ぶ部分が多いことがすでに知られているが、これもまた聖武天皇の存在が「喩族歌」において大きな比重を占めている一証といえよう。  「喩族歌」の長歌末尾は、大伴一族に対して「喩す」という本歌の中心を成すところである。それが、かつての聖武御製の表現と同一の形式を持つということになれば、家持が「喩族歌」を作成した際、聖武天皇のような存在から大伴一族が告諭されるということを意識していたであろうことが思われる。すなわち、聖武天皇が世にあれば、このように我ら一族を喩すことであろうにという思いが、この表現の底には潜んでいるのであろう。となると、「喩族歌」の作中の「話者」として聖武天皇を想定したくなるところだが、敬語使用の状況からすると聖武天皇を直接の話者とすることは困難だ。しかしながら、聖武御製との類似は、家持が告諭を行う立場としてではなく、告諭を受ける立場としてこの作をなしたのではなかったか、という考えを導く。この歌の作歌時点、家持が大伴氏全体を告諭する立場にあったと考えにくいことは先行研究の示す通りである。  今回の発表では、この告諭する一連の表現の「質」を見定めたい。この「~そ+~禁止(または命令)」という文脈は他の歌にもかなり広く見られ、この構文における禁止(または命令)表現と、その前提としての「~そ」の部分との関係性を見定めることは、「喩族歌」の性質についても重要な発言を導くように思われる。また、この表現の類例にはかなり変形したものも見られる。それらについても考察を展開してみたい。

『万葉集』における「喚辞」

 『万葉集』の題詞・左注等に記される諸氏族の官人には、「山上臣憶良」といった『続日本紀』に見える一般的な呼び方以外に、「大宰帥大伴卿」「右大臣橘家」「内大臣藤原朝臣」など名を記さないもの、「安倍広庭卿」「藤原宇合大夫」のように名を記しカバネを記さないもの、また「山上憶良臣」のようにカバネを最後に回すものなどがある。それをどう記すかは、題詞・左注の書き手、あるいは編纂者がその人物をどう待遇しているのかを表すと考えられる。カバネを後に回すものは一般に「敬称法」と呼ばれているが、これは公式令に規定された、公の場での官人の口頭による呼び方、「喚辞」と関わることが指摘されている(山田英雄「万葉集の性格について」『新古典大系』二)。例えば、御所で授位任官する時、三位以上ならば名を先、カバネを後、四位以下は逆にして呼ぶのである。ただしこれは場によって変わり、例えば太政官で呼ぶ時は、三位以上は某+大夫、四位は某+カバネ、五位は某+名+カバネ、六位以下は某+カバネ+名の順と規定されるのである。
 『万葉集』の題詞等は公の場ではないが、官人の呼び方は、その「喚辞」に準拠すると思われる(便宜上これも「喚辞」と呼ぶ)。しかし公の「喚辞」が場によって可変的であるように、『万葉集』の「喚辞」も巻やその箇所によって変化する。例えば巻十九では四位には「敬称法」を用いて五位には用いないが、巻二十では五位以上の官人にはすべて「敬称法」を用いている。それは決して「敬称法」を用いられない家持を筆者・編纂者として、家持の官人たちに対する態度が変化したことを表すのであろう。そして巻六にも、途中から五位の官人に「敬称法」が用いられるようになるという現象が見られる。これも年代順の配列の中で家持が姿を現わすことによる変化と見ることができる。「喚辞」のあり方は、『万葉集』が自らの成り立ちをどう見せているかに関わっているのではないかと考える。





注意事項 ・ お問合せ先


【お問合せ】上代文学会事務局
〒162-8644
東京都新宿区戸山1-24-1
早稲田大学文学学術院2504研究室内
上代文学会事務局
Eメール jimukyoku@jodaibungakukai.org
※※2023・2024年度(2025年3月31日迄)


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