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上代文学会-大会


2020年(令和2年) 上代文学会大会案内
期  日 2020年(令和2年)5月23日(土)、24日(日)、25日(月)
会  場 関西大学
関大前駅(阪急電鉄千里線)より徒歩約10分
折尾駅より北九州市営バス九州女子大学・九州共立大学下車(約五分)
〒564‐8680 大阪府吹田市山手町3丁目3‐35

日  程
― 23日(土) ―
理事会 (午後0時30分~1時30分)   関西大学 第一学舎 五号館
公開講演会 (午後2時00分~4時30分)   関西大学 第一学舎 五号館

学会挨拶 挨  拶 天武・持統天皇と吉野宮・宮滝遺跡 新学習指導要領と『万葉集』―上代文学の未来を考える―
上代文学会賞贈呈式 (午後4時30分~4時40分)
総会 (午後4時40分~5時30分)
― 24日(日) ―
研究発表会 (午前9時30分~午後4時30分) 関西大学 第一学舎 五号館
《午前の部》
柿本人麻呂作「泣血哀慟歌」の主題―「泣血哀慟」の語義をめぐって―
恋する道―人麻呂歌集巻十一・二三七五歌をめぐって―
表現形式の中の「旋頭歌」
 ―昼食―

《午後の部》
『常陸国風土記』多珂郡飽田村条の狩りについて 杵築社の祭神と『先代旧事本紀』 契沖伝の盲点―契沖の思想形成史構築の方法をめぐって 万葉集非仙覚本系統の平仮名訓本と片仮名訓本とのつながり
―広瀬本と類聚古集の誤字の共有―
― 25日(月) ―
臨地研究 ※学会から特に案内はいたしません。



上代文学会-秋季大会


令和元(2019)年度上代文学会秋季大会・シンポジウム ご案内
日  時 2019年11月23日(土)午後2時~5時30分
会  場 駒澤大学・駒沢キャンパス 3号館207教場
テ ー マ 『日本書紀』神代巻を読む

 『日本書紀』には、『古事記』との違い・『日本書紀』がある理由、本文と共に存在する一書の源泉とその意味は何なのか、また原神話から如何にして新たな神話世界が形成されたのかなど、問題は尽きない。
そこで、本年のシンポジウムでは、『日本書紀』研究の最前線に立つ研究者による、『日本書紀』神代巻の読みの追究を行いたい。『万葉集』に由来する「令和」によっても、上代文学への関心が高まっている。
また、来たる令和二年(二〇二〇)は、『日本書紀』奏上から千三百年にもあたる。この絶好な機会に、パネリストと会場の参加者によって、『日本書紀』神代巻の新たな読みを生み出していきたい。
パネリスト及び講演題目 正史はなぜ神代巻を必要としたのか――「抑圧されたものの回帰」をめぐって――
相模女子大学名誉教授 呉 哲男
『日本書紀』神代巻の構成
早稲田大学教授 松本 直樹
『日本書紀』「神代紀」一書内部〈注釈〉の読解
相模女子大学准教授 山田 純
(司会 フェリス女学院大学教授 松田 浩)
発表要旨

正史はなぜ神代巻を必要としたのか――「抑圧されたものの回帰」をめぐって――
呉 哲男

 日本書紀が中国正史(『史記』『漢書』『後漢書』など)に倣うのであれば「神代巻」は不要であった。
「神代巻」が要請されるには二つの側面があったと考える。一つは「降臨神話」というローカル神話では超越性の強度が不足していたという点である。ニギハヤヒ伝承をはじめとして様々にありえた地方豪族の「降臨神話」と天孫降臨神話は峻別されなければならない。中国の「天」と日本的な「天」(天つ神・天下)は本来似て非なるものであるが、これをハイブリッドなものに仕立てたところに「神代巻」の妙がある。そのポイントは中国皇帝祭祀における「天帝祭祀」と「皇帝祭祀」の導入である。「天帝祭祀」と「皇帝祭祀」は本来別のものであるが、これを巧妙に結びつけて天孫を「天つ神」に血縁系譜でつながる「天子」としたところに天孫降臨神話の本質がある。その痕跡を神武紀四年二月条の「霊畤」の記事を通して読んでみたい。
 今一つは、天孫降臨神話によって「抑圧されたもの」の回帰をどのように回収するかという問題である。天孫降臨神話は征服国家の神話である。そこでは必然的に征服されたもののルサンチマンが「祟り」となって出現する。大国主神の国譲りは後に出雲大神の「祟り」(『記』)となって発現した。また崇神紀に見える三輪の大物主神の「祟り」などもその象徴的な例である。律令天皇制祭祀はこれを一括処理しようとした節がある。すなわちそれが神祇令の祈年祭として全国規模で実施された「幣(みてぐら)」の配布である。祈年祭は本来祟りを鎮める祭りであり、「幣」(贈与霊)を班つことで祟りを鎮め守護霊となって還ってくること(互酬交換)を期待したのだ。「神代巻」を根底で支えていたのは実にこのアニミズムの観念だったのではないか。

『日本書紀』神代巻の構成
松本 直樹

 『日本書紀』神代巻はいかなる意図で構成され、その合理的な読み方は存在するのか。 本文と一書群とは内容的に両立しえない。日神オホヒルメ=アマテラスが、イザナキ・イザナミの子として生まれ(第五段本文)、イザナキが白銅鏡を持った時に誕生し(一書第一)、イザナキの禊ぎによって化生する(一書第六)ことを同時に認めることは出来ない。
一方で、本文の理解に一書が不可欠な場合も少なくない。第八段本文でスサノヲの子として誕生したオホナムチが第九段本文で葦原中国の支配者として行動すること、また、高天原から派遣されたアメノワカヒコがウツシクニダマ(本文初出)の娘を妻として葦原中国の支配を企むことは、第八段一書第六の「オホナムチは大国主神として国作りをした」「ウツシクニダマはオホナムチの亦名である」という情報無しに合理的に理解することが難しい。さらに第九段本文で、本文初出のタカミムスヒが「尊」号をもつ皇祖であり、司令神として働くことの合理性は、同神が第一段一書第四で天地創成直後に造化神として誕生し、第八段一書第六で「天神」と位置付けられていることで辛うじて納得が出来る。
こうした事情は神代巻に留まらず、神武紀にも及ぶ。神武の発言に「昔我天神、高皇産靈尊・大日孁尊、挙此豊葦原瑞穂国而、授我天祖彦火瓊々杵尊…」とあるが、本文(第九段)で天孫降臨を指揮するのはタカミムスヒ一神であり、そこにオホヒルメは登場しない。神武紀以降の一本化した〈歴史〉も、神代巻の本文と一書群とを併せて受け止めた上に成り立っており、『日本書紀』の〈歴史〉における一書の有効性は明らかである。「本文と相容れない一書」しかも「本文に対して有効な一書」があることの意味を問わねばならない。
神代巻の本文は、複数あった〈建国神話〉の諸伝を資料として、段ごとに選定されている。例えば、段ごとに日神系、アマテラス系がそれぞれ採用されている。一書を列挙するだけでなく、複数の系統を横断するように本文を繫ぐところからは、首尾一貫した文脈を構成する以上に、より総合的な〈建国神話〉であることを旨とした編纂意図を認めることが出来るだろう。

『日本書紀』「神代紀」一書内部〈注釈〉の読解
山田 純

 『日本書紀』「神代紀」を読解する場合、本書と一書の問題を避けることはできない。
そこで両者の関係を、第八段一書第六に載る大己貴と少彦名の国作り記事から考えてみたい。 大己貴に国作りの進捗状況を訊かれた少彦名の発言「或は成せる所も有り。或は成らざるところも有り」には、「是の談、蓋し幽深き致有らし」という一節が続く。直上の少彦名の曖昧な回答について解説あるいは忖度する内容である。
とすると、この一文はある種の「注」的機能をもつことになる。 一書が注であることは『日本書紀私記』以来指摘され、近年では神野志隆光氏によって慎重に確認されている。そうすると、この一文は注記の内容を解説する注である、ということになる。注を含んだ史書の読み書き作法においては、注の規定に沿って読解するということが遠藤慶太氏によって指摘されている。つまり、少彦名の発言は「幽深」の内容をもつと、そのように読むように規定されるということになる。 「幽深」は『周易』の用語で陰陽の理が働く目に見えない境地を言う。なれば少彦名は陰陽の理について発言していることになろう。
すなわち、一書第六は陰陽論の文脈に国作りを置くものとして読解するようテキストそれ自体が要請していることになる。そしてその陰陽論的文脈に置かれる一書もまた注であるならば、注される第八段本書も陰陽論的展開の範疇として読むよう要請されているのではないか。このことについて論じてみたい。



令和元(2019)年度上代文学会秋季大会・研究発表会 ご案内
日  時 令和元年11月24日(日)午後1時~5時
会  場 明治大学中野キャンパス 低層棟五階ホール
研究発表 『日本書紀』允恭天皇条における人物造形ー衣通郎姫の物語と歌を中心にー
國學院大學兼任講師 小野 諒巳
(司会 明治大学准教授 植田 麦)
「好去好来歌」再考
鹿児島大学非常勤講師 富原 カンナ
(司会 専修大学教授 大浦 誠士
『杜家立成雑書要略』の物品貸借関連文例の特質
信州大学教授 西 一夫
(司会 早稲田大学教授 高松 寿夫)
天平勝宝八歳の難波行幸と大伴家持
東京大学教授 鉄野 昌弘
(司会 創価大学助教 鈴木 道代)

発表要旨

『日本書紀』允恭天皇条における人物造形ー衣通郎姫の物語と歌を中心にー
小野 諒巳

『日本書紀』の允恭天皇条には、『古事記』の允恭天皇条との差異が少なくない。
その差異のひとつに、天皇と弟姫(衣通郎姫)との恋物語の存在が挙げられる。『古事記』には類話がなく、かつ「衣通」の名が別人物である軽大郎女の亦名とされていることなどから、この物語は従来、その成立について多くの議論がなされてきた。その反面、允恭紀に載る当該物語そのものの意義づけに関する研究はそれほど活発でなく、允恭紀における天皇と弟姫との物語には未だ考察の余地があるものと思われる。
本発表では当該物語の允恭紀における記載意義究明を目的とする。 当該物語は従来、忍坂大中姫皇后の嫉妬物語であると評されてきた。しかしその見方には再検討の必要があろう。なぜなら、允恭紀の全体を通して皇后から天皇への恋情は明示されず、嫉妬の表現とされる「嫉」は弟姫による認識としてのみ描かれるからである。
皇后は弟姫のもとへ赴く天皇を咎める際に、長年天皇に仕えてきた皇后たる自身の出産と時を同じくすることを咎め、あるいは度重なる行幸によって民の負担が重くなることを慮るなど、公的な立場から理を以て天皇を説得するかたちをとる。理を重んずる皇后と、相愛の恋情を中心に描かれる天皇・弟姫との間には、人物像に大きな格差が見て取れる。その格差は、允恭天皇が父仁徳からは天下を治めることはできないと評され、兄である履中・反正両天皇から軽んぜられていたという『日本書紀』独自の允恭天皇像と関わるものと考える。結論を先に言えば、允恭天皇の天皇としての欠陥を言葉で直接的に示すのではなく、賢后・忍坂大中姫との対比によって描出するのが、当該物語であったと考えるのである。
本発表では以上のような着眼から、当該条の物語展開を踏まえつつ、弟姫が詠んだ「とこしへに 君もあへやも いさなとり 海の浜藻の 寄る時々を」(紀68)の解釈を通して、天皇と弟姫、そして皇后の人物造形とその意義を明らかにする。


「好去好来歌」再考
富原 カンナ

 遣唐大使丹比広成に送られた山上憶良の「好去好来歌」(万葉集巻五・八九四~六)は、巻十三の人麻呂歌集歌(三二五三~四)と語句の上での共通点が多く、憶良がこの作に倣って創作したことが示唆されている。とりわけ両者の関係から、人麻呂集歌も遣唐使を餞 する作と見て、ともに「言霊」が詠み込まれたことを「「唐国」に対する「日本国」という国家意識に立脚する言語主張」(伊藤博『万葉集の表現と方法上』)とする論考が、当該作の研究に大きな影響を与えている。
但しこの見解については、人麻呂集歌には作歌事情の記載はなく、遣唐使派遣の状況に決定されない点、また集中の他の遣使餞歌には、外国に対する国語の自意識は殆ど詠まれていないことが問題として挙げられる。「好去好来歌」の内容は、むしろ他の遣唐使歌と 同様「無事に行って帰ってきて欲しいと願い、住吉・大和の神に祈る」という常套的な詠みぶりに終始する。
すなわち伝承的儀礼歌に則った歌詠の中で、「言霊」が詠み込まれた創意が考察されるべきであろう。本発表では、先蹤とされる人麻呂集歌の歌意を明らかに し、「言霊」の意味を検証した上で、憶良がそれをいかに取り入れたかを考察する。 「言霊」の語は集中の三作に見え、憶良以外の歌は「相聞」に所収されている。人麻呂集歌は、前の歌群(三二五〇~二)と併せ、旅行く者を送る歌であり、相手の無事を祈願し「言挙げ」も敢えてする、と詠じる中で「言霊」が詠まれている。憶良は「言霊」を詠じた人麻呂集の恋歌に倣い、その形を基に遣唐使派遣に相応しい作と成したと推察される。
近時上野誠氏(「好去好来歌」における笑いの献上」『万葉文化論』)より、当該反歌二首を「待つ女」の歌と捉える論が呈示されたが、一篇を長反歌通じて恋歌仕立の餞歌と見ることで、その見解もより深く把握されるのではないか、と考える。さらに「好去好来」という俗語で題された事由も、親密な間柄の餞歌を示すものとして理解されよう。


『杜家立成雑書要略』の物品貸借関連文例の特質
西 一夫

 『杜家立成雑書要略』には三十六の題目からなる往復の書簡文例が収められ、うち物品貸借に関する文例は五題目を占める。これらは大きく二群からなり、一つは物品の貸借に関連する文例(二題目・②③=A群)であり、いま一つは食物の貸借に関連する文例(三題目・⑳㉑㉞=B群)である。
これらは、形式面において、おおよそ類似した形式をなしていると言える。しかも敦煌書儀の文例とは異なり、内容面については個別化(具体化)している点も共通している。その一方で、A群の二文例は連続して配されているのに対してB群は㉞のみが本書の末尾近くに配されているという状況にある。つまり、形式面や内容面では類似の関係をなすのに対して、配列ではやや異質な関係を見せていると言える。  このような状況にある五題目の文例のうち、A群は本書の前半部分(甲部)、B群は後半部分(乙部)に配されている。これは本書の全体構成とも関わり、五題目の文例の特質を注釈的に明らかにしながら検討をおこない、一括されるA群と分割されるB群との配列の問題を検討する。この検討には宴席関連の文例(①⑦/㉖㉗㉘㉙)の分析結果によって得られた各文例の特質と本書全体の構成との検討結果を活用することができよう。  
これら形式・内容・配列の分析には、敦煌書儀との表現の比較や分析のみならず、六朝尺牘の分析結果をも援用する。これによって実用的な観点から文例表現の特質に対する検討も可能となるからである。また物品貸借でまとめられているA群と食物貸借でまとめられているB群との関係を考慮することによって、本書全体の構成や文例のあり方の解明に見通しをつける。  さらに、上代文学における本書を含む書儀や尺牘の受容の様相について、分析の結果を踏まえて見通しを述べる。


天平勝宝八歳の難波行幸と大伴家持
鉄野 昌弘

 天平勝宝八歳二月、聖武太上天皇は、光明皇太后、孝謙天皇とともに難波に行幸し、四月十七日まで滞在した。五月二日の崩御の直前である。大伴家持も、難波に滞在して作歌しているが(20・四四五七~六四)、防人歌に触れ、その悲しみに擬して歌い、また「拙懐を陳ぶる歌」で難波への行幸を仮想した前年に比して、議論の対象にされることが少ない。  
しかし意外に多くの問題が残されている。行幸の経緯を記す総題のもと、全体は三部に分けられる。最初の三首は河内の馬国人の家での宴の歌である。これを太上天皇以下臨席の宴と見る注もあるが、国人を「主人」と扱うので、家持たちだけの私宴であろう。家持の歌は、近くの名所、住吉の遠里小野を詠んだ軽い歌と考えられる。一方、そこで披露された大原今城の「先日他所」の歌は、それより遥かに公的な宴を場にしていたと見られる。その対比は、家持がそうした公の場からは遠ざかっていたことを表している。  
次の三首は堀江での作である。これも、太上天皇が行幸した際の歌とする説もあるが、「間無くそ奈良は恋しかりける」といった都恋しさを歌うので、行幸の晴れの場で歌ったとは思われない。むしろ行幸よりも後日、一人堀江に佇んでの作と見られよう。  
最後の二首はホトトギスを待つ「依興歌」である。「我が門過ぎじ、語り告ぐまで」は、そこが難波でなく、家持が既に平城京に戻っていることを示す。二首の日付を行幸終了後の四月二十日とする説もあるが、やはり総題にある三月と見るべきで、家持は太上天皇たちと離れて奈良に戻ったのである。「語り告ぐまで」は周囲に人の居ないことを示すだろう。  
結局、前年に夢想した難波行幸が実現しているにもかかわらず、家持は自分がその側に居なかったことを記録している。橘諸兄も失意のうちに薨去したこの時期、家持が孤独に太上天皇崩御を迎えることを、この歌群は語るのである。


上代文学会-例会


上代文学会 7月例会御案内
日  時 令和元年七月十三日(土)午後二時~五時
会  場 日本大学文理学部 百周年記念館二階 国際会議場
研究発表 安康記の考察―大長谷王子即位前記試論― 人麻呂歌集の献歌―弓削皇子と舎人皇子―

発表要旨
安康記の考察
   ―大長谷王子即位前記試論―


 安康記には、在位中の天皇が弑されるという特異な内容が記されている。父の仇を討つため目弱王によって引き起こされたこの事件は、大長谷王子による敵討ちと諸皇子誅伐へと展開しており、皇子間の争いを数多く記す『古事記』下巻のなかでも際だって多くの皇子たちの衝突が記されている。このような安康記に対するこれまでの研究は、概ね二つの立場から為されてきたことが指摘できる。一つめは目弱王を主体に据えて仇討ちにまつわる文芸性を追求する立場であり、濱田清次氏や三浦佑之氏がこの観点から考察を加えている。もう一方は、安康記を大長谷王子の即位前記と捉え、大長谷王子を中心とした解釈を施す立場である。この立場には、安康天皇固有の物語がほとんどないことから安康記は「雄略即位前記」であると指摘した中西進氏の説をはじめとして、諸皇子の排除=即位の必然性の付与と捉える森昌文氏の説、皇統存続の危機を武勇によって救ったことが即位の必然性へつながったと指摘する阿部誠氏の説、また『古事記』の反乱物語は次期皇位継承者の即位の正当性を語ると捉える立場から、安康記は一貫して「武勇の賢弟・大長谷王子(雄略)の即位の必然」を語っていると論じる矢嶋泉氏の説などが挙げられる。発表者は後者の立場から安康記を理解するものであるが、従来の説では大長谷王子の武勇性のみが大きく取り沙汰され、個々の物語が担う役割が充分検討されてこなかったきらいがある。根臣による讒言であったとはいえ、「等しき族」であることを理由に破綻した若日下王との婚姻が、雄略記に至って再度語られるという展開に目を向けるなら、安康記は大長谷王子が諸皇子のなかで抜きんでた地位へと成長する過程として読み解けるはずである。本発表ではその具体的なさまを、⑴若日下王への求婚譚、⑵黒日子王・白日子王の殺害、⑶市辺之押歯王の難というひとつひとつの物語展開に即して指摘してみたい。


「人麻呂歌集の献歌
   ―弓削皇子と舎人皇子―



 巻九には、人麻呂歌集所出の弓削皇子、舎人皇子への献歌が繰り返し載せられている。これらの歌の意味するところを考察したい。
 雑歌部には舎人皇子に献る二首(一六八三、一六八四)があり、二首共に春の花を詠んでいる。また、弓削皇子に献る歌三首(一七〇一~一七〇三)があり、三首に「雁」の語が共通している。しかし、続く舎人皇子に献る二首(一七〇四、一七〇五)には、共通する主題が見いだしがたい。一七〇四では山霧・川波が詠まれ、一七〇五では結実を待つ歌となっている。この二首に寓意を認めるかについても説が分かれている。一七〇四については寓意を否定し実景と見る説が多く、一七〇五については寓意を認めることが多い。ただ、その寓意がいかなるものなのか、いまだ考察の余地が残されているように思われる。「二首」とまとめられていながら、一方が実景で一方が寓意であるというのは、不自然さが否めない。さらに、続く一七〇六には舎人皇子自身の霧の歌があり、当然一七〇四との関連が考えられる。一七〇四では霧が「茂」というほかにない表現がなされており、一七〇六の「夜霧」も実景として歌う例が萬葉集中にみあたらない。もちろん孤例となる独自の表現をした可能性も否定できないが、三首とも寓意があるゆえの特異な例なのではないか。
 また相聞部にも弓削皇子に献る一首(一七七三)と舎人皇子に献る二首(一七七四、一七七五)が人麻呂歌集所出の三首として並んで載せられている。この三首を同時のものとみる説もあり、弓削皇子・舎人皇子の関係性も考慮する必要があろう。
 人麻呂と天武の皇子との関係(阿蘇瑞枝氏)、人麻呂歌集と巻九の排列(渡瀬昌忠氏)についての詳論もあり、近年も検討がすすんでいるところではあるが、本発表では「献る歌」であることを重視し、歌の意図を見定めたい。




2020年度(令和2年度)上代文学会例会・秋季大会発表者募集
発表をご希望の方は、例会係(烏谷知子・野口恵子・三田誠司・山﨑健司・渡邉正人)までご連絡ください。
例会は七月・一月に開催予定、申込締切はそれぞれ四月十日・九月十日です。
秋季大会研究発表会は十一月に開催予定、申込締切は六月三十日です。
reikai@jodaibungakukai.orgからもお申し込みができます

【交通・アクセス】
◆京王相模原線をご利用の場合
「稲城駅」下車、改札を出て右手方向に進み、2番バス停より「駒沢学園行き」「新百合ヶ丘駅行き」「柿生駅北口行き」のいずれかに乗車約7分。「駒沢学園」下車。
★一つ前の「駒沢学園入り口」で降車されないようご注意ください。
★稲城駅から徒歩では30分近くかかります。バスのご利用をお勧めします。

◆小田急線をご利用の場合
「新百合ヶ丘駅」下車、改札を出て南口方面に進み、階段を降り1階バスターミナル5番乗場より、「駒沢学園行き」「稲城駅行き」「稲城市立病院行き」のいずれかに乗車約20分。「駒沢学園」下車。
★道路状況により時間がかかる場合があります。土曜日はバスの本数が少ないのでご注意ください。

バス時刻表は駒沢女子大学HPの「アクセス」をご参照ください。


上代文学会 1月例会御案内
日  時 令和2年1月11日(土)午後2時~5時15分
会  場 駒沢女子大学 80周年館 2階 16-208教場
研究発表 崇神天皇条に出現した少女のウタ――古事記歌謡と日本書紀歌謡――
愛知県立大学非常勤講師 大脇 由紀子
(司会 聖学院大学教授 渡邉 正人)
柿本人麻呂「献呈挽歌」の視点と方法
筑波大学人文社会系特任研究員 茂野 智大
(司会 駒沢女子大学教授 三田 誠司)
「山部宿禰赤人が作る歌二首并せて短歌」(『万葉集』九二三〜九二七歌)考
目白大学専任講師 森 陽香
(司会 國學院大学教授 土佐 秀里)

〇研究発表終了後、常任理事会(於、駒沢女子大学 八十周年館二階 16-204教場)を開催します。


発表要旨
崇神天皇条に出現した少女のウタ――古事記歌謡と日本書紀歌謡――

 『記』『紀』崇神天皇条にある「うたう少女」の物語と歌謡を考察する。『記』によれば、高志の国に派遣された大毘古命は山代の幣羅坂で奇妙な歌をうたう少女に遭遇する。少女の歌は『記』歌謡(第22番)と『紀』歌謡(第18番)とで表現に違いがあるが、タケハニヤスの謀反を諷したものであることは共通する。では、その表現の違いは何故に生じるのか。
  この「うたう少女」の伝承には古代中国の童謡(ワザウタ)と熒惑(火星)との影響があると土橋寛(『古代歌謡全注釈日本書紀編』)は指摘した。『晋書』天文志には、熒惑は童児に変じて地上に降り、歌を謡い戯れるとある。が、氏の指摘はその点を歌謡の表現とは関わらせていない。発表者は漢籍の影響で『紀』歌謡第18番の「比売那素寐殊望(姫遊びすも)」の表現が採択されたと考える。
  古代中国において童謡・熒惑は災異説と密接な関係にあった。災異説とは天子に失政の兆しがあれば天の意志によって災害異変が起き、天子の理解・反省が足りなければ、天は怪異を起こして警告するという思想である。『紀』崇神天皇条は『漢書』成帝紀によって潤色されているが、『漢書』において成帝は酒色にふける天子と記されていて、そのために成帝即位の年に災異が起こり、童謡が流行し「小女」(『漢書』五行志)が出現して国家は混乱したと記す。崇神天皇の時代も災異(疫病)の時代であった。つまり、『紀』筆録者は成帝のような中国的天子像を意識したため、批判的な「姫遊び(女と戯れること)」の表現を採択していると考える。従来女性との戯れの伝承を持たない崇神天皇条において難解な表現とされてきたが、中国的観念のあらわれだと考えたい。一方、『記』歌謡第22番に「姫遊び」に類する表現はなく、少女は天皇批判者ではない。『記』において「裳」は守る者を示す衣裳であり、『記』筆録者は地の文にある「腰裳を服たる少女」という表現で少女が天皇を守護する存在であることを説くのである。

柿本人麻呂「献呈挽歌」の視点と方法

 『萬葉集』巻二挽歌部所載「柿本朝臣人麻呂獻二泊瀬部皇女忍坂部皇子一歌」(一九四歌)は、人麻呂挽歌の中でもとりわけ解釈上の問題を多く抱えた作品として知られる。それらの問題はこの歌が誰の立場で詠われているか、題詞や左注の記載は歌の表現とどのようにかかわるか、といった根本的なものから、長歌の「嬬の命の」は誰を指すか、その句は主格か所有格か、「柔膚」や「夜床」は誰のそれを指すか、「身にそへ寝」ないのは誰か、本文と異伝との差異をどのように考えるべきか、といった個々の表現にまで及び、先行文献の数に比例して解釈が乱立するがごとき様相を呈している。
これらの問題は、大きく見れば話者およびその視点の問題に収斂すると考えられる(ここで言う「話者」とは機能としての作中の叙述主体を指し、現実の「作者」や、何らかの形で披露されたテクストに伴う表現者像としての「詠い手」とは区別される)。ただし、話者とその視点とに関するこれまでの議論は、本作品に固有の問題としては多く積み重ねられてきたものの、人麻呂挽歌ないし人麻呂作歌全体の中でそのありようがいかに位置づけられるのか、という点にまで踏み込んで論じられることはあまりなかった。それは本作品にかかわって論じられたかかる問題が、多くの場合あくまでも本作品を読み解くことを目的として持ち出されていたことによるだろう。だが、いかなる立場で何に視線を向けて詠われているかという点は、こと人麻呂作歌において詠われる題材や作品展開と密接にかかわって方法化されており、個々の解釈の問題を超えた重要な意味を持つと考えられる。本発表では話者およびその視点の問題から本作品をめぐる諸問題を再検討するとともに、他の人麻呂挽歌ないし人麻呂作歌における話者の視点と方法とから見て、本作品のそれがどのように位置づけられるのか、という点までを視野に入れて考察を加えたい。

「山部宿禰赤人が作る歌二首并せて短歌」(『万葉集』九二三〜九二七歌)考

 『山部赤人の「吉野讃歌」二群五首を取り上げる。特に九二四歌・九二五歌に対して島木赤彦が高い評価を与えたことは、よく知られている。しかし〈長歌から反歌だけを切り離して鑑賞する方法〉は、赤人の意図に沿った歌解釈の探究を求める『万葉集』研究の立場からは、「誤った鑑賞法」(清水克彦)、「そうした作品享受の態度は不当」(梶川信行)、「歌群を恣意的に解体するような鑑賞法」(土佐秀里)と批判され、現在は全体を讃歌として把握する見解が一般的である。本発表も、まずこの通説に従い、次の二点を考察する。
 第一に、五首は第一群と第二群とに分かれているが、まず第一群の「宮ぼめ」と第二群の「君ぼめ」(清水克彦)とがどのような表現によって果たされているかを確認し、それぞれがどのように関わりながら讃歌として全体を構成しているか、再考する。また、二群五首全体を「「見」を捨てた」歌であるとする説(坂本信幸)を取り上げる。坂本説の根拠は、「見れど飽かぬ」という表現が当該歌に用いられていないことや「見吉野乃飽津」という九二六歌の原文表記などに求められているが、本発表では特に第二群二首の表記や表現からその妥当性を検討し直し、赤人歌の讃歌としての特徴を明らかにしたい。
 第二に、特に九二五歌を考察する。五首全体を讃歌と見る通説は、千鳥の声について、例えば「天皇や宮廷の盛容を意味していた」(伊藤博)、「天皇の盛大をことほぐ響き」(橋本達雄)と説明する。盛んな自然活動の表現が讃歌として機能することは認められるが、「宮」「君」を讃美するために「夜」に鳴く「千鳥」を詠むことは、『万葉集』中の一般的表現とは異質である。そこで、本歌を踏まえているとされる家持の四一四七歌を見合わせながら『万葉集』における赤人歌の位置を見定め、〈長歌から反歌だけを切り離して鑑賞する方法〉が『万葉集』研究としてどのような意味を持ち得るか、検討したい。


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