例会案内

1月例会御案内 | 7月例会御案内


例会案内


今年度の7月例会は、2019年7月13日(土)に、日本大学文理学部百周年記念館において開催の予定です。


上代文学会 1月例会御案内
日  時 平成31年1月12日(土)午後2時~5時
会  場 日本大学法学部 本館121講堂[本館2階]
研究発表 紀男人「扈従吉野宮」における上官昭容詩の受容 オキナガタラシヒメ「鎮懐石・年魚釣り」伝承考―『古事記』における筑紫の神威―

発表要旨
『紀男人「扈従吉野宮」における上官昭容詩の受容


 『懐風藻』所収の紀男人「扈従吉野宮」(以下「紀男人詩」とする)が上官昭容「遊長寧公主流杯池二十五首」(以下「上官昭容詩」とする)の影響のもとに作詩されたことについて、検証する。このことは、これまで指摘されたことが無かったが、詩の発想・表現において両者には共通点が多く、紀男人が上官昭容詩に倣って作詩したかのような形跡が認められる。紀男人詩は、唐中宗の景龍四年(七一〇)に成立した上官昭容詩に学びながら、天平八年(七三六)六月から七月にかけて行われた聖武天皇の吉野行幸時に詠まれた詩であると考えることが出来る。
 紀男人詩と上官昭容詩との共通点について、具体的に以下のような点が見られる。まず、紀男人詩の「嘯谷将孫語、攀藤共許親」と上官昭容詩の「跂石聊長嘯、攀松乍短歌」(其十)「攀藤招逸客、偃桂協幽情」(其十四)とは隠遁についてのイメージが共通し、詩の発想・表現のレベルで類似性が認められる。特に、「攀藤」というあまり用例のない語がともに用いられたことは両者の関係を強く想定させる。また、紀男人詩の結びの二句「此地仙霊宅、何須姑射倫」は「今、自分が訪ねている場所は既に神仙の地であり、わざわざ探し求める必要がない」という主張であり、これは上官昭容詩の「何須遠訪三山路、人今已到九仙家」(其二十四)や「寄言棲遯客、勿復訪蓬瀛」(其十九)と同想である。さらに、紀男人詩の「泉石」は上官昭容詩にある表現であり(十六)、紀男人詩の「智与仁」、及び「峰巌」と「泉石」の対句表現にも上官昭容詩との類似が認められる。そのほか、題詞の「扈従」が、則天武后時代に始まり、唐中宗時代に上官昭容の周辺で常用された用語であることも証左の一つとなる。
 右のように紀男人詩が上官昭容詩を踏まえていることは明白であり、そのことを前提にして、初めて「嘯谷将孫語、攀藤共許親」の「孫」は「孫登」であり、「許」は「許由」である等の具体的な内容を理解することが出来る。


オキナガタラシヒメ「鎮懐石・年魚釣り」伝承考―『古事記』における筑紫の神威―

 『古事記』の仲哀天皇条に記される「年魚釣り」伝承には「四月上旬」という文言が見られる。『古事記』においては「何月」の出来事という記載は他に見られない。しかしここの記述は、現地での習俗であることを明示するためで、歴史的出来事を「月」で指示・特定する記述形態では無かろう。「四月上旬」の語が必要な理由は「年魚釣り」の特殊性に由来すると思われる。上代の鮎漁は鵜を用いた追い込み漁で網・荃・梁を併用したものと考えられる。鮎の成魚は岩につく藻を食むので餌釣りは出来ず、現在では鮎の習性(縄張り意識)を利用して「友釣り」が楽しまれている。ただし、若鮎の時期は雑食性で河口付近の汽水域では一時期のみ餌釣りも可能である。おそらくはこの習性に則って、特定の時期(夏の初めの若鮎が汽水域に滞留する一時期・旧暦四月上旬)にのみ可能な鮎の餌釣りによる豊穣の占いが執り行われたのであろう。
 このように考えると、『古事記』が「四月上旬」の語を取り込んだのは筑紫の在地の習俗・伝承の特殊性を強く意識していたためと推測できよう。『日本書紀』・『風土記』も同様に「四月」を記述するが、資料の同一性のみで『古事記』が「四月上旬」の語を用いたとするわけにはゆくまい。書紀・風土記が新羅征討の成否を占うための行為として位置づけるのに対し、『古事記』は帰国後の出来事としているからである。また『古事記』はこの伝承を「鎮懐石」伝承と一連のものとして記述することにも留意すべきであろう。これもまた筑紫の在地伝承に由来すると考えられるからである。
 この二つの伝承に現地で親しく接したのが大伴旅人と山上憶良であった。言わば現地の伝承と記紀の伝承とに向き合った、伝承の受容史の生き証人である。大伴旅人・山上憶良の歌を手がかりに、在地伝承と記紀の記述の有り様を比較し、『古事記』において描かれる「筑紫の神威」を考えてみたい。



上代文学会 7月例会御案内
日  時 平成30年7月14日(土) 午後2時~5時
会  場 昭和女子大学 一号館5S33教室
研究発表 歴史テキストとしての『万葉集』巻六 ―沈黙の批評― 「出典語」の変容と享受

発表要旨
歴史テキストとしての『万葉集』巻六
   ―沈黙の批評―


 『万葉集』研究の領域では、昭和初期以来、歌人(作者/作家)を了解の枠組みとする論議が主流を占めてきたが、昨今では、テキストとしての性格にこそ照準を合わせるべきだとの主張も現れている(神野志隆光、Torquil Duthie)。テキストとして読むこと――それは、唯一のではないにしても、優先されるべき接近法に相違ない。この見地から巻六を読んでみたい。
 同巻は、巻一・二の続編として、天武・持統皇統の正統な継承者たる聖武天皇の、一代の治世を記念する意図をもって編纂されたと言われる(吉井巌)。編成は作歌年月日順となっており、即位が迫った養老七年五月の吉野行幸に始まり、天平十六年閏正月の安積親王薨去の直前でいったん閉じられ、末尾には年月作者不明の三首と田辺福麻呂歌集所出の二一首が付載される。注意すべきは天平元年、同七年、および天平十三・十四年の三箇所には歌がまったくないという点だろう。私はここに沈黙の批評を見出す。批評は、繁栄すべくして無残な凋落を余儀なくされた聖武朝に対し、アイロニカルなまなざしを注いでいる。


「出典語」の変容と享受


 上代人の表現の糧となった漢籍の出典考証は、契沖『万葉代匠記』以来多くの先行研究によってなされてきた。中でも小島憲之氏は、最も古い出典だけでなく、上代人が実際に依拠した「直接」の出典を追究する必要を説き、より直接的には類書や注疏の類から文章語句を学んだ可能性を指摘し、上代の漢籍の利用状況がより明らかにされた。  こうした漢籍の受容状況を踏まえた出典考証をなす上でなお留意すべきは、上代文献に見える漢籍の出典語に、原典の表現とは語句が異なり、意味も変化したものが見られることである。すなわち中国で詩文の語句が典拠として利用される中で、語形が省略、また熟語・成語化し、或いは意味の変容、転義が生じた語句を上代人が摂取したことが考えられる。注釈書の多くはそのような語句の変化をさほど問題にせず、語注として出典を示すが、用語の正しい解釈のためには、詩文の語句が享受の過程で、語形・意味がいかなる変遷を辿ったかという考察が求められよう。
 たとえば万葉集巻五の山上憶良の漢文に見える「申臂之頃」「如申臂」という表現は、漢訳経典の定型句「譬如力士屈申臂頃」に根差し、時間の短さを意味する比喩と解されている。但し漢訳経典ではこの表現は、仏や仏弟子、神々が瞬時に他所へ移動する神変を表す文脈において用いられている。この定型句の形が変化し、時間的速やかさのみを意味するようになった語句を憶良が学んだことが推察される。
 本発表では、このような万葉集の漢詩文に見える漢籍・経典の原典とは異なる表現・意味を有する語句について、その変化の過程を追究し、上代人がいかなる意で用いたかを考察する。出典語の変容と享受の関係を明らかにすることで、語句の解釈のみならず、上代の典籍利用の状況解明の一端をも試みるものである。




平成31年度 上代文学会例会・秋季大会発表者募集
発表をご希望の方は、例会係(大浦誠士・烏谷知子・野口恵子・松田浩・渡邉正人)までご連絡ください。
例会は7月・1月に開催予定、申込締切はそれぞれ4月10日・9月10日です。
秋季大会研究発表会は11月に開催予定、申込締切は6月30日です。
reikai@jodaibungakukai.orgからもお申し込みができます



天災・停電などの非常事態で交通機関などに大きな影響が出た場合には、 やむをえず例会開催を中止することがありますが、中止の周知は、多くの場合困難ですので、 ご了承ください。
携帯電話からもアクセス可能な、上代文学会非常時用連絡サイトを開設しました。
   URL : http://jodaibungakukai.blog.fc2.com/
このサイトに、非常時にあたっての例会中止等の情報が載ることもありますので、 非常時に際しては、ご確認ください(状況によっては、情報の掲示も困難になる可能性もあります)。
このサイトは、あくまで非常時の緊急情報連絡用ですので、書き込みはできません。


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