例会案内

7月例会御案内 | 1月例会御案内


例会案内


上代文学会 7月例会御案内
日  時 平成29年7月8日(土) 午後2時~5時
会  場 日本大学法学部 本館121講堂[本館2階]
研究発表 弓削皇子への献呈歌―南淵山の残雪― 天穂日命考―古代東国と出雲系―

発表要旨
弓削皇子への献呈歌
   ―南淵山の残雪―


 『万葉集』に収載される柿本人麻呂歌集には、「御食向かふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる(九・一七〇九)」という一首がある。天武天皇の皇子である弓削皇子に献じられた歌であり、従来南淵山が視界に入る地で歌会が催された際の嘱目の歌と理解されてきた。確かに対象作品は南淵山の残雪の景を描いた嘱目の歌である訳だが、下二句に「降りしはだれか消え残りたる」と、残雪の景を見たことが疑問で歌われることには注意が必要である。季節にそぐわない、非日常的な美景を南淵山に発見した感動が対象作品の作歌契機となっていることを、この疑問は示しているからである。
 南淵山は、皇極天皇が雨乞いを行ったことで知られる地であり、また、天武天皇の無遮大会が行われた坂田寺の建立地でもある。対象作品が詠まれた当時、朝廷では中央集権国家確立に向けて神祇信仰と仏教信仰とを並行した国家政策が活発に進められていたのであり、この地が霊験あらたかな地として認識されていたことは想像に難くない。殊にその土地に対象作品は「御食向かふ」という枕詞を冠しているのであり、それは歌い手がこの地を神の坐す地と認識し、歌い描いたことの現れである。「御食向かふ」は神饌の音を導く枕詞であるという理解が一般的であるが、その一方で神の存在を彷彿させる語としても理解される。南淵山が水神の坐す、神聖な地として対象作品に意識されていることは、南淵山を舞台とし、残雪の景がここに歌われた意義を明らかにしよう。
 雨雪は水神が司るものであり、南淵山は水神の坐す山である。対象作品には南淵山の水神の存在が強く意識されており、その山の残雪の景を見たことが作歌契機となっているのである。そこからは、残雪の景を南淵山の顕在化した霊威として捉える発想が根底に置かれ、対象作品が詠まれていることが知られる。


天穂日命考
   ―古代東国と出雲系―



 天穂日命は、アマテラスとスサノヲの誓約の場面で御統の瓊から生まれ、後に天孫降臨の際に葦原中国に下るが大己貴神に媚びて三年間復命しなかった。そして、第九段一書第二によれば、国を譲った大己貴神に高皇産霊尊が「汝が祭祀を主らむは、天穂日命、是なり」と命じ、その子武日照命は出雲の神宝を天からもってきたとされる。古事記では出雲臣の祖と書かれる神で、いずれにしても出雲と関係が深い神である。記紀神話の中では、このように反天津神といった立場の神であるが、後の時代には神格が変化すると思われる。
 日本紀竟宴和歌においては、7・8番歌に矢田部公望が「あまのほひかみのみおやはやさかにのいほつすばるのたまとこそきけ」「くさきみなことやめよとてあしはらのくにへたちにしいさをなりけり」、46・47番歌では秦敦光が「あまのほひうけひもしるくあれましてかみのいさをとなりにけるかな」「あしはらのみずほのくににちはやぶるかみむけよとぞあまくだしける」と詠われる。いずれも記紀の内容に準じてはいるものの、良い面が強調され、天神の命に従わなかったという負の側面は語られない。
 一方、古代東国では、この国譲りの場面での武甕槌神・経津主神といった神が鹿島・香取に祀られ、蝦夷対策の一つの呪的守護が求められたりしている。天穂日命も武蔵国の有力な古社の祭神になっており、東国経営に対して国譲りの神や出雲系が重用される傾向がみられる。こうした東国経営の実際が、天穂日命の神格の変化に良い影響を与えたと仮定し、本発表では、日本紀竟宴和歌を手掛かりに、そうした古代東国での出雲系、とくに天穂日命の果たした役目を考えたい。




上代文学会 1月例会御案内
日  時 平成30年1月20日(土) 午後2時~5時
(第3土曜日の開催です。ご注意ください。)
会  場 専修大学神田キャンパス 5号館7階 571教室
研究発表 『夫木和歌抄』所収万葉歌について――長歌の特質と価値―― 家持の「見」――長歌の視点から――

発表要旨
『夫木和歌抄』所収万葉歌について
   ―長歌の特質と価値―


 『夫木和歌抄』は一万七千首余りの和歌を所収し、万葉歌は、一三一七首(すべて仮名表記、重出歌を一首と数える)、そのうち長歌は一二一首あり、中世私撰集(万葉集専書を除く)の中で最多である。『夫木和歌抄』所収万葉歌については、佐竹昭広氏が本文復元の有効な資料として高く評価された。濱口博章氏は「比較的早く新点を採り入れた」、「万葉歌の採取においても一回的ではなく、何段階かを経ていること(中略)、選定中に何回かに亙って何種かの万葉を利用した」とされた。渋谷虎雄氏は新点と同訓が二十二首、少し訓を異にするもの二十三首とされ、このことについて「古次点訓のものを、今一つは西本願寺本の祖本である文永本をこの両者に拠りながら、一方また別の資料をも参照しつつ(以下略)」とされた。濱口・渋谷両氏は編纂時に同一の書について複数の写本を見たという見解であるが、果してそうであろうか。新点歌を所収することが、仙覚を受容したと判断することは慎重でなければならない。
 既に、発表者は『歌枕名寄』の長歌の考察において、渋谷氏の挙げた三首の「純粋の新点歌」について仙覚を受容した可能性は低いとした。『歌枕名寄』より成立年代が二十年以上下がる『夫木和歌抄』では如何であろうか。
 本発表では田中大士氏の一連の長歌訓の分布による系統論を踏まえ、『夫木和歌抄』所収万葉集長歌を取り上げ考察する。写本と刊本の異同を調査すると、刊本は仙覚を受容しているが、写本はその影響は極めて少ないといえる。故に考察は写本に拠るべき(『校本萬葉集新増補』所収『夫木和歌抄』は刊本)である。本発表では静嘉堂本、書陵部蔵桂宮本、永青文庫本を比較しながら考察を進める。主として非仙覚本―廣瀬本、紀州本(巻十まで)との関係、仙覚本との関係―改訓・新点の受容の有無、独自訓について考察し、『夫木和歌抄』所収万葉歌の特質や万葉集受容史の上での位置について考察を試みる。


家持の「見」
   ―長歌の視点から―



 大伴家持の長歌に用いられる「見」について、その行為主体を整理することによって、長大になりがちな家持長歌の特質を考える。
 家持歌ならずとも長歌の場合、一首の中に複数の「見る」行為が詠まれることも少なくない。中には国見に由来する天皇の「見る」や、妻と「相見る」、讃歌の定型句「見れど飽かぬ」などが含まれ、これらの歌では見ている行為主体は比較的安定的である。
 一方で、「見る」が複数回詠まれる長歌は、その特性として見ている主体が入れ替わるものも多く、時には主体が曖昧になるものもある。その見ている主体が曖昧な歌とは、例えば、大君―大宮人(巻十三・三二三四 讃歌)、大君―舎人(巻十三・三三二四 挽歌)などのことである。これら、比較的古い歌の主体の曖昧さは、大君と仕える者たちの一体化を示すと理解することもできようし、その古代的思想や古代的感覚といったものを手掛かりに、見る行為を整理することが可能かもしれない。
 しかし、家持歌の「見」は歌のテーマが具体的で、詠作の動機が詳述されている場合であっても、その主体が不安定であるということが言える。
 例えば「放逸する鷹を思ひ夢に見て感悦して作る歌(巻十七・四〇一一)」は、鷹が三島野を「そがひに見つつ 雲隠れなむ」と詠む。挽歌に見られるような歌句を用いつつ、ここに鷹の視線を詠むのはどのような意味を持つのか。また、「京に向かふ路の上にして興に依りて作る待宴応詔の歌(巻十九・四二五四)では、「やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明めたまひ」と天皇の視線を詠む。天皇が見ているのは「秋の花」それだけである。歌の冒頭にある「国見」を前提とするならば、その見ているものはあまりにも微細である。
 すなわち、家持長歌には、不整合とは言えないまでも唐突な「見る」状態が、家持自身の視線とは別の視線をもって描かれているといえる。これらを整理し、その意味を考える。



平成30年度 上代文学会例会・秋季大会発表者募集
例会・秋季大会研究発表会で発表をご希望の方は、例会係(大浦誠士・烏谷知子・野口恵子・松田浩・渡邉正人)までご連絡ください。
例会は、7月・1月に開催予定です。申込締切は、それぞれ4月10日・9月10日です。
秋季大会研究発表会は、11月開催予定、申込締切は6月30日です。
reikai@jodaibungakukai.org



天災・停電などの非常事態で交通機関などに大きな影響が出た場合には、 やむをえず例会開催を中止することがありますが、中止の周知は、多くの場合困難ですので、 ご了承ください。
携帯電話からもアクセス可能な、上代文学会非常時用連絡サイトを開設しました。
   URL : http://jodaibungakukai.blog.fc2.com/
このサイトに、非常時にあたっての例会中止等の情報が載ることもありますので、 非常時に際しては、ご確認ください(状況によっては、情報の掲示も困難になる可能性もあります)。
このサイトは、あくまで非常時の緊急情報連絡用ですので、書き込みはできません。


【ページの初めに戻る】