例会案内

7月例会御案内 | 1月例会御案内


例会案内


今年度の7月例会は、2019年7月13日(土)に、日本大学文理学部百周年記念館において開催の予定です。


上代文学会 7月例会御案内
日  時 令和元年七月十三日(土)午後二時~五時
会  場 日本大学文理学部 百周年記念館二階 国際会議場
研究発表 安康記の考察―大長谷王子即位前記試論― 人麻呂歌集の献歌―弓削皇子と舎人皇子―

発表要旨
安康記の考察
   ―大長谷王子即位前記試論―


 安康記には、在位中の天皇が弑されるという特異な内容が記されている。父の仇を討つため目弱王によって引き起こされたこの事件は、大長谷王子による敵討ちと諸皇子誅伐へと展開しており、皇子間の争いを数多く記す『古事記』下巻のなかでも際だって多くの皇子たちの衝突が記されている。このような安康記に対するこれまでの研究は、概ね二つの立場から為されてきたことが指摘できる。一つめは目弱王を主体に据えて仇討ちにまつわる文芸性を追求する立場であり、濱田清次氏や三浦佑之氏がこの観点から考察を加えている。もう一方は、安康記を大長谷王子の即位前記と捉え、大長谷王子を中心とした解釈を施す立場である。この立場には、安康天皇固有の物語がほとんどないことから安康記は「雄略即位前記」であると指摘した中西進氏の説をはじめとして、諸皇子の排除=即位の必然性の付与と捉える森昌文氏の説、皇統存続の危機を武勇によって救ったことが即位の必然性へつながったと指摘する阿部誠氏の説、また『古事記』の反乱物語は次期皇位継承者の即位の正当性を語ると捉える立場から、安康記は一貫して「武勇の賢弟・大長谷王子(雄略)の即位の必然」を語っていると論じる矢嶋泉氏の説などが挙げられる。発表者は後者の立場から安康記を理解するものであるが、従来の説では大長谷王子の武勇性のみが大きく取り沙汰され、個々の物語が担う役割が充分検討されてこなかったきらいがある。根臣による讒言であったとはいえ、「等しき族」であることを理由に破綻した若日下王との婚姻が、雄略記に至って再度語られるという展開に目を向けるなら、安康記は大長谷王子が諸皇子のなかで抜きんでた地位へと成長する過程として読み解けるはずである。本発表ではその具体的なさまを、⑴若日下王への求婚譚、⑵黒日子王・白日子王の殺害、⑶市辺之押歯王の難というひとつひとつの物語展開に即して指摘してみたい。


「人麻呂歌集の献歌
   ―弓削皇子と舎人皇子―



 巻九には、人麻呂歌集所出の弓削皇子、舎人皇子への献歌が繰り返し載せられている。これらの歌の意味するところを考察したい。
 雑歌部には舎人皇子に献る二首(一六八三、一六八四)があり、二首共に春の花を詠んでいる。また、弓削皇子に献る歌三首(一七〇一~一七〇三)があり、三首に「雁」の語が共通している。しかし、続く舎人皇子に献る二首(一七〇四、一七〇五)には、共通する主題が見いだしがたい。一七〇四では山霧・川波が詠まれ、一七〇五では結実を待つ歌となっている。この二首に寓意を認めるかについても説が分かれている。一七〇四については寓意を否定し実景と見る説が多く、一七〇五については寓意を認めることが多い。ただ、その寓意がいかなるものなのか、いまだ考察の余地が残されているように思われる。「二首」とまとめられていながら、一方が実景で一方が寓意であるというのは、不自然さが否めない。さらに、続く一七〇六には舎人皇子自身の霧の歌があり、当然一七〇四との関連が考えられる。一七〇四では霧が「茂」というほかにない表現がなされており、一七〇六の「夜霧」も実景として歌う例が萬葉集中にみあたらない。もちろん孤例となる独自の表現をした可能性も否定できないが、三首とも寓意があるゆえの特異な例なのではないか。
 また相聞部にも弓削皇子に献る一首(一七七三)と舎人皇子に献る二首(一七七四、一七七五)が人麻呂歌集所出の三首として並んで載せられている。この三首を同時のものとみる説もあり、弓削皇子・舎人皇子の関係性も考慮する必要があろう。
 人麻呂と天武の皇子との関係(阿蘇瑞枝氏)、人麻呂歌集と巻九の排列(渡瀬昌忠氏)についての詳論もあり、近年も検討がすすんでいるところではあるが、本発表では「献る歌」であることを重視し、歌の意図を見定めたい。



上代文学会 1月例会御案内
日  時 平成31年1月12日(土)午後2時~5時
会  場 日本大学法学部 本館121講堂[本館2階]
研究発表 紀男人「扈従吉野宮」における上官昭容詩の受容 オキナガタラシヒメ「鎮懐石・年魚釣り」伝承考―『古事記』における筑紫の神威―

発表要旨
『紀男人「扈従吉野宮」における上官昭容詩の受容


 『懐風藻』所収の紀男人「扈従吉野宮」(以下「紀男人詩」とする)が上官昭容「遊長寧公主流杯池二十五首」(以下「上官昭容詩」とする)の影響のもとに作詩されたことについて、検証する。このことは、これまで指摘されたことが無かったが、詩の発想・表現において両者には共通点が多く、紀男人が上官昭容詩に倣って作詩したかのような形跡が認められる。紀男人詩は、唐中宗の景龍四年(七一〇)に成立した上官昭容詩に学びながら、天平八年(七三六)六月から七月にかけて行われた聖武天皇の吉野行幸時に詠まれた詩であると考えることが出来る。
 紀男人詩と上官昭容詩との共通点について、具体的に以下のような点が見られる。まず、紀男人詩の「嘯谷将孫語、攀藤共許親」と上官昭容詩の「跂石聊長嘯、攀松乍短歌」(其十)「攀藤招逸客、偃桂協幽情」(其十四)とは隠遁についてのイメージが共通し、詩の発想・表現のレベルで類似性が認められる。特に、「攀藤」というあまり用例のない語がともに用いられたことは両者の関係を強く想定させる。また、紀男人詩の結びの二句「此地仙霊宅、何須姑射倫」は「今、自分が訪ねている場所は既に神仙の地であり、わざわざ探し求める必要がない」という主張であり、これは上官昭容詩の「何須遠訪三山路、人今已到九仙家」(其二十四)や「寄言棲遯客、勿復訪蓬瀛」(其十九)と同想である。さらに、紀男人詩の「泉石」は上官昭容詩にある表現であり(十六)、紀男人詩の「智与仁」、及び「峰巌」と「泉石」の対句表現にも上官昭容詩との類似が認められる。そのほか、題詞の「扈従」が、則天武后時代に始まり、唐中宗時代に上官昭容の周辺で常用された用語であることも証左の一つとなる。
 右のように紀男人詩が上官昭容詩を踏まえていることは明白であり、そのことを前提にして、初めて「嘯谷将孫語、攀藤共許親」の「孫」は「孫登」であり、「許」は「許由」である等の具体的な内容を理解することが出来る。


オキナガタラシヒメ「鎮懐石・年魚釣り」伝承考―『古事記』における筑紫の神威―

 『古事記』の仲哀天皇条に記される「年魚釣り」伝承には「四月上旬」という文言が見られる。『古事記』においては「何月」の出来事という記載は他に見られない。しかしここの記述は、現地での習俗であることを明示するためで、歴史的出来事を「月」で指示・特定する記述形態では無かろう。「四月上旬」の語が必要な理由は「年魚釣り」の特殊性に由来すると思われる。上代の鮎漁は鵜を用いた追い込み漁で網・荃・梁を併用したものと考えられる。鮎の成魚は岩につく藻を食むので餌釣りは出来ず、現在では鮎の習性(縄張り意識)を利用して「友釣り」が楽しまれている。ただし、若鮎の時期は雑食性で河口付近の汽水域では一時期のみ餌釣りも可能である。おそらくはこの習性に則って、特定の時期(夏の初めの若鮎が汽水域に滞留する一時期・旧暦四月上旬)にのみ可能な鮎の餌釣りによる豊穣の占いが執り行われたのであろう。
 このように考えると、『古事記』が「四月上旬」の語を取り込んだのは筑紫の在地の習俗・伝承の特殊性を強く意識していたためと推測できよう。『日本書紀』・『風土記』も同様に「四月」を記述するが、資料の同一性のみで『古事記』が「四月上旬」の語を用いたとするわけにはゆくまい。書紀・風土記が新羅征討の成否を占うための行為として位置づけるのに対し、『古事記』は帰国後の出来事としているからである。また『古事記』はこの伝承を「鎮懐石」伝承と一連のものとして記述することにも留意すべきであろう。これもまた筑紫の在地伝承に由来すると考えられるからである。
 この二つの伝承に現地で親しく接したのが大伴旅人と山上憶良であった。言わば現地の伝承と記紀の伝承とに向き合った、伝承の受容史の生き証人である。大伴旅人・山上憶良の歌を手がかりに、在地伝承と記紀の記述の有り様を比較し、『古事記』において描かれる「筑紫の神威」を考えてみたい。





令和元年度 上代文学会秋季大会研究発表会・例会研究発表者募集
発表をご希望の方は、例会係(烏谷知子・野口恵子・三田誠司・山﨑健司・渡辺正人)までご連絡ください。
秋季大会研究発表会は十一月二十四日(日)開催、申込締切は六月三十日(日)です。
例会は一月十一日(土)開催、申込締切は九月十日(火)です。
なお、発表の採否については、常任理事会にて発表要旨を参考に審議・決定致します。
reikai@jodaibungakukai.orgからもお申し込みができます



天災・停電などの非常事態で交通機関などに大きな影響が出た場合には、 やむをえず例会開催を中止することがありますが、中止の周知は、多くの場合困難ですので、 ご了承ください。
携帯電話からもアクセス可能な、上代文学会非常時用連絡サイトを開設しました。
   URL : http://jodaibungakukai.blog.fc2.com/
このサイトに、非常時にあたっての例会中止等の情報が載ることもありますので、 非常時に際しては、ご確認ください(状況によっては、情報の掲示も困難になる可能性もあります)。
このサイトは、あくまで非常時の緊急情報連絡用ですので、書き込みはできません。


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