例会案内

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例会案内


二〇二四年度(令和六年度)上代文学会一月例会 ご案内
日  時 二〇二五年(令和七年)一月十一日(土)午後二時~午後四時三〇分
会  場 Zoomによるオンライン開催      参加を希望される会員の方は、案内状に記載の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。折り返しURL等、参加に必要な情報を返信致します。遠方の会員の皆様もぜひご参加ください。
研究発表 雲隠る雁 ―『萬葉集』におけるカクルの認識方法から― 医療表象文化からみる黄泉国神話の位置づけ ○研究発表会終了後、常任理事会をオンラインで開催します。

発表要旨
雲隠る雁 ―『萬葉集』におけるカクルの認識方法から―

  『萬葉集』では、雲に隠れて見えない雁を「雲隠ル」と表現する(「雲隠る雁」)。最も古い「雲隠る雁」は、人麻呂歌集歌「献二弓削皇子一歌三首」の一七〇三番歌に見える。この一七〇三番歌の「雲隠ル」は、それまでのカクルと違い、聴覚を用いて隠れる対象の存在を認識する。
  従来の先行研究は、見るという態度の表れとしてカクルを捉えるが、見ることとカクルの関係についての議論は十分ではなく、聴覚とカクルの関係についても考察されていない。本発表は、視覚に関わるカクルの相(アスペクト)を分析することで、見ることとカクルの関係、さらに聴覚とカクルの関係を明らかにし、一七〇三番歌の「雲隠る雁」の認識方法とその認識がどのように受容されたかを述べる。
  内田賢德氏(「見えないものの歌」)が「視野にあったものが見えない領域へ消えること」と述べるように、変化を伴う動詞としてカクルは理解される。アスペクトの分析からも、①ある主体がカクル存在を視覚にて認識する(見ること)、②具体物が見ることを遮り、対象を視認することが困難になる、③完全に対象を視認できないがそれでも見ようとする、という三段階の変化を経てカクルは成立することが分かる。すでに隠れている状態を表すカクルの例もあるが、変化と状態を表すカクルのどちらにおいても、以前に視認した対象を隠れて見えない内側に想像する点は共通している。
  一方で聴覚を用いた「カクル」では、聴覚により視認できない対象の存在を「認識」する。カクルの①段階目を聴覚を用いて実行する。視覚を聴覚に転化した表現といえるだろう。
  この聴覚を用いた「カクル」は「雲隠る雁」の歌に集中する。「雁が音」のみ聞こえ、視認したくとも視認できない雁をまるで見るかのように「カクル」と表現するのである。一七〇三番歌の「雲隠る雁」から始まる聴覚をもって見ようとする認識方法は、大伴家持の「見帰雁歌二首」にも受け継がれている。

  
医療表象文化からみる黄泉国神話の位置づけ

  黄泉国については、横穴式古墳の葬制の反映(『古事記新講』『古事記全註釈』等)、モガリの説話化(『古事記注釈』)、地下世界説(『古事記伝』以来の定説に対する視点)、平面的関係としての「葦原中国―黄泉国」説(松村武雄『日本神話の研究』)、山中他界説(井手至「所謂遠称の指示語ヲチ・ヲトの性格」)、「葦原中国」に帰着する「黄泉国」の世界像(大林太良『シンポジウム日本の神話』、神野志隆光『古事記の世界観』)などと解される。本発表では、『古事記』黄泉国神話に描かれる植物の医療表象から、黄泉国の位置づけについて考えていく。
  黄泉国神話では、イザナキが黄泉国から逃走する際に投げるものとして、エビカヅラ・タカムナ・モモが登場する。中尾瑞樹氏は、『古事記』黄泉国神話のこの三つの植物について、『大同類聚方』の用例をふまえて薬草であると同定し、黄泉国に薬草が生えることと、中国の「黄泉」との関係から、三つの植物における古代的薬理を示すことで、黄泉国を「医薬の国」と解した(中尾瑞樹「『古事記』黄泉国神話の医療人文学的考察」水門の会神戸例会、2017他)。
  『古事記』では、三つの植物は同列ではなく、「エビカヅラ・タカムナ」と「モモ」の二つに分類することができる。すなわち、エビカヅラとタカムナは、イザナキの身体性から「投棄」されることで「生」るものとして存在し、その生成には、イザナキの主体性が強調される。この違いをふまえて、医書などからエビカヅラとタカムナの本草的側面をとらえると、『神農本草経』に、エビカヅラは「久食、軽身、不老、延年」、タカムナは「通神明、軽身益気」とあり、エビカヅラとタカムナには仙術につながる「軽身」の表現がみえる。このことから黄泉国神話を読むと、医薬を投じられたことによりヨモツシコメたちはパワーアップしたのであり、黄泉国が活性化することで、高天原の三神を生み出すイザナキの力が蓄えられたと解することができる。

二〇二四年度(令和六年度) 上代文学会 七月例会 ご案内
日  時 二〇二四年(令和六年)七月二〇(土)午後二時~午後三時三〇分
会  場 Zoomによるオンライン開催
参加を希望される会員の方は、案内状に記載の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。折り返しURL等、参加に必要な情報を返信致します。遠方の会員の皆様もぜひご参加ください。
研究発表 『古事記』四番歌「ヤマトノヒトモトススキ」の解釈 ○研究発表終了後、常任理事会(Zoomによるオンライン開催)を開催します。

発表要旨
『古事記』四番歌「ヤマトノヒトモトススキ」の解釈

 『古事記』上巻・神語の中で八千矛神(大国主神)が歌った歌(『古事記』四番歌)の中に「夜麻登能比登母登湏〃岐(ヤマトノヒトモトススキ)」という語句が見える。この「ヤマト」をめぐっては、普通名詞の「山本」「山処」ととる説、散文部に「倭国」の語が見えることから、地名「倭(大和)」を指すとみる説の他、「配偶者を失った人」の意ととる一案(新編日本古典文学全集・頭注)などもあり、定まっていない。「山本」「山処」説の難点は、「ヤマモト」を縮めて「ヤマト」と言った確例が見られないこと、「登」は乙類であるのに対し、「処」が甲類であることなどにある。また、一方の地名「倭」説の難点は、「ヤマトノヒトモトススキ」が出雲に残される妻のスセリビメの姿を喩えたものであり、地名「倭」とは関わらないという点にある。

 『古事記』の歌の中に見られる「ヤマト」は皆「夜麻登」と表記され、その示す範囲に相違がある可能性を孕みつつも、いずれも地名のヤマトを指している。それゆえ、本発表では四番歌の「ヤマト」を地名「倭」と考える。その場合、当然ながら散文部の「倭国に上り坐さむとして」との関係性を検討する必要がある。「倭国に上り坐さむ」としつつも、結局は出かけずに出雲に留まったと描くこの神話の展開は、大国主神が、後の天皇支配の中心地であるヤマトのみは領有出来なかったことを主張する『古事記』編者の意図を示すものであるとの理解があり、発表者もこれまで同様に考えてきた。しかし、後の大国主神の国作り神話、及び中巻・神武記の東征、崇神記の祟り神祭祀も併せてみたときに、上巻の神話世界においてヤマトが天皇支配の中心地として先んじて別格の扱いを受けていたとは考えがたいのではないか。むしろ八千矛神(大国主神)が領有する「ヤシマグニ」の中に「倭」も含まれることを積極的に示すのがこの歌と散文部の意図するところであったのではないか、と結論付ける。