秋季大会案内


秋季大会案内


上代文学会秋季大会シンポジウム御案内【ハイブリッド開催】参加費無料
日  時 二〇二三(令和五)年十一月二十五日(土) 午後一時~五時
会  場 二松学舎大学 九段キャンパス 九段一号館 八〇七教室

Zoomを使用したオンライン参加もできます。オンライン参加を希望される会員の方は案内状の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。
対面でご参加の方はお申し込み不要です。当日会場で発表資料をお渡しいたします。
※今後のコロナ感染状況によりましては、全面オンラインとなる場合もあります。HPで最新情報をご確認下さい。
テ ー マ 『万葉集』巻十六の諸相

 近年『万葉集』巻十六に関する論考が盛んに発表されており、巻十六研究の機運の高まりを感じさせる。こうした現在の状況は、巻十六の研究の基礎がより充実し強固となることが期待される。
 巻十六は物語的題詞・左注をもつ歌々が多いのが特色であり、そこには漢籍的知識を応用した語・表現などが散見する。また、条件・状況が多岐にわたる様々な宴席歌や、雅から離れた俗の世界を強く感じさせる戯笑歌、地方の民俗や文化を伝える歌々が収められることも、その特徴といえよう。こうした広範な多様性を内包することが、巻十六の魅力ではないだろうか。
 巻十六は『万葉集』の世界の広がりを知るうえでも貴重な存在であり、また後の文学史へのつながりも視野に入る重要な巻である。研究基盤が強固になるこの機会に、さらに巻十六研究の可能性を探りたい。

パネリスト及び講演題目 巻十六 いま何が問題か
東京大学名誉教授 多田 一臣
『萬葉集』巻十六の伝云型左注について
奈良女子大学教授 奥村 和美
歌文化の多様性と重層性 ――『万葉集』巻十六から見る万葉史――
日本大学特任教授 梶川 信行
(司会 フェリス女学院大学教授 松田 浩)
上代文学会事務局
〒162-8644 東京都新宿区戸山一―二四―一
早稲田大学 文学学術院 二五〇四研究室内
上 代 文 学 会
http://jodaibungakukai.org/


発表要旨

巻十六 いま何が問題か
東京大学名誉教授 多田 一臣

 巻十六について、これまで、いくつかの書物や論を公表してきた。①『万葉集全解 6』(筑摩書房)は、巻十六全体の注釈を含む。さらに巻十六について、まとまった考察を加えたものとして、②『『古事記』と『万葉集』』(放送大学教育振興会)、③『万葉樵話』(筑摩書房)がある。「安積山の歌」(三八〇九)「乞食者詠二首」(三八八五~六)「怕しき物の歌」(三八八七~九)などについても、個別の論を発表している。「志賀の白水郎の歌」(三八六〇~六九)についての論も、近々公表を予定している。
 そのようなわけで、これらの書物や論を前提としながら、巻十六で、いま何を問題とすべきかについて、お話ししてみたい。以下、箇条書風に示すが、限られた時間ゆえ、すべてに言及できないことを、予めお断り申し上げておく。
 Ⅰ 巻十六冒頭の標題「有由縁幷雑歌」をどう見るか。「幷」の有無がまず問題となる。この巻の歌すべてに「由縁」が付随していると見るべきなのかどうか。さらに「雑歌」とは、どのような意味なのか。
 Ⅱ 物語的な左注や題詞を、文学史(表現史)の上でどのように捉えるべきか。和文体の歌物語の始発としての意味を、ここに認めることができるのかどうか。
 Ⅲ 宴席の戯笑歌、さらには物名歌、無心所著歌をどう評価すべきか。上の②③では、そこに「非(反)万葉」的なありかたを認めて、そこから反対に和歌の本質が明らかになるのではないかと述べた。字音語などの語彙の特異性にも注意される。
 Ⅳ 「竹取翁歌」(三七九一~三八〇二)「志賀の白水郎の歌」に、山上憶良はどこまで関与していたのか。
 Ⅴ 地方の歌・芸謡(「乞食者詠二首」)・呪歌(「怕しき物の歌」)をどう捉えるか。
 まだあるが、とりあえずこの範囲内で、お話ししてみたい。


『萬葉集』巻十六の伝云型左注について
奈良女子大学教授 奥村 和美

 『萬葉集』巻十六には、左注部分に「右」「右歌」「右○首」「右歌○首」で歌を指した後、「伝云」と続く形式の文が散見し、冒頭から二十首に見られるいわゆる左注的題詞とは大きな対照をなすことが知られている。先行論では、左注的題詞に、詩序に匹敵するような文飾や強い物語性が指摘される一方、この伝云型の左注については、伊藤博論をはじめとして、その背後にうかがわれる口誦・口承の世界をどう捉えるのかということに関心が集まりがちであった。記載すなわち書く契機の重要性を主張する論もあったけれども、そのことが具体的に、左注の文章の形成や、或いはそのような左注と歌との関係の形成に、どう関与したのかということについては、まだ十分に明らかにされていないように思われる。
 伝云型の左注は、まずこの「伝云」じたいが、他巻の「伝云」「語云」「伝言」などとは異なる意識で用いられていることに注意しなければならない。加えて、現在の巷間の小話をとりあげつつも時の設定をあえて「昔」とすることや、歌の作者について「姓名未詳」としたり、話題の中心人物について「名字忘」として匿名性を匂わせることなど、中国の人物伝、志人・志怪小説、故事逸話集などの叙述形式を巧みに利用して、話を面白くしようとする操作の跡の読み取れる箇所が存する。歌は、そのようなどこか虚実の定かでない設定に置かれることで、いっそう読み手の想像力に訴え面白く享受できるように仕組まれている。
 本発表は、『萬葉集』巻十六の伝云型左注のもつ、そのような作為性ひいては虚構性の一端をいくつか具体的に指摘し、単なる歌の成立事情の説明にとどまらない左注の表現の内実を明らかにする。そのことを通して、歌の「由縁」とは何なのか、歌が「由縁」とともにあるとはどういうことなのか、あらためて考え直してみたい。


歌文化の多様性と重層性 ――『万葉集』巻十六から見る万葉史――
日本大学特任教授 梶川 信行

 四期区分説に基づいて「和歌史」を見据えることが、昭和の頃から常識とされて来た。御代別に歴史化された巻一・巻二が『万葉集』の根幹であって、持統朝の人麻呂によって、和歌の世界が大きく飛躍し、平城京の時代に個性の花が開いたとする万葉観である。すなわち、著名歌人たちによる発展の過程として「和歌史」を描くことが常道とされて来たのである。しかし、巻十六の世界は、そうした見方が必ずしも妥当なものではないということを教えてくれる。
 巻十六は、「物語的な題詞や左注をもつ歌」(三七八六~三八一五)、「宴の場を主たる背景にもつ戯笑歌」(三八一六~三八五九)、「地方の歌、芸謡、呪歌などの特殊な歌」(三八六〇~三八八九)によって構成される(多田一臣『万葉集全解6』筑摩書房・二〇一〇)が、その中の「戯笑歌」群は、藤原京や平城京の官人層の日常の姿を反映しているものであろう。すなわち、整序された晴れの歌々がヤマトウタ(長歌や短歌といった特定の歌体を指すのではなく、五七音を基本とした歌のすべての謂である)の通常の姿ではなく、「戯笑歌」群のような褻の歌々こそ、その常態だったと考えられる。晴れの歌々は氷山の一角に過ぎず、その水面下に氷山の何倍もの巨大な氷塊があるように、その底流には「戯笑歌」群のごとき、豊かな言葉遊びの世界が広がっていたのであろう。
 このように、「戯笑歌」群の存在に焦点を当てて、古代のヤマトウタの世界を見つめ直してみると、従来とは違った文学史が見えて来る。それは実態としての「和歌史」ではなく、『万葉集』というたった一つの歌集から見える「万葉史」である。「戯笑歌」群には、無名の下級官人ばかりでなく、皇(王)族などの上級貴族や渡来系の人たちの姿も見える。古代社会なりのダイバーシティーだった。著名歌人中心の「和歌史」からダイバーシティーの「万葉史」へ。巻十六の「戯笑歌」群の存在は、万葉観の根本的な転換を示唆しているように思われる。




上代文学会秋季大会研究発表会ご案内【ハイブリッド開催】参加費無料
日  時 二〇二三年(令和五年)十一月二十六日(日)午後二時~午後四時十五分
会  場 早稲田大学 戸山キャンパス 33号館3階 第一会議室

Zoomを使用したオンラインでのご参加も可能ですので、遠方の会員の皆様もぜひご参加ください。
オンライン参加を希望される会員の方は、郵送された参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。
後日、ZoomのURL、発表資料などをメールでお送りいたします。対面でご参加の方は、事前お申し込み不要です。
当日会場で、発表資料をお渡しいたします。
研究発表 大国主神の視座― 『古事記』の工夫と『出雲国風土記』による受容―
早稲田大学大学院教育学研究科博士課程 齊木 果穂
(司会 都留文科大学准教授 小村 宏史)
出雲から見た国譲り
福岡女学院大学名誉教授 吉田 修作
(司会 明治大学准教授 伊藤 剣)
○研究発表会終了後、常任理事会を対面・オンラインのハイブリッド形式で開催します。
上代文学会事務局
〒 162-8644 東京都新宿区戸山一―二四―一
早稲田大学文学学術院二五〇四研究室内


発表要旨

大国主神の視座―『古事記』の工夫と『出雲国風土記』による受容―
齊木 果穂

  『出雲国風土記』は、神田典城や松本直樹によって、『古事記』『日本書紀』の神話を享受し、そのうえで出雲独自の主張を描いていると指摘されている。『出雲国風土記』意宇郡母理郷条にも、記紀の国譲りの影響を受けつつ、オホナムチが「但八雲立出雲国者 我静坐国 青垣山廻賜而 玉珍置賜而守」と出雲一国の守護を宣言する点に独自の主張がみられる。当該条に対し、倉野憲司は「出雲氏族の拔き難い政治的・宗教的勢力の存在」を背景とした「出雲國だけは治外法權的取り扱ひをするといふ宣言」と指摘する。いずれも当を得た見解である。
 ただし、この「治外法權的」な出雲側の主張は、記紀が描く国譲りの文脈に抵触しかねない内容である。記紀において、あくまでも被征服者側に置かれた出雲が、中央に提出する「風土記」でこうした主張をすることができた背景には、大和政権にとっても認めざるを得ない根拠が記紀の内部にあったのではないだろうか。
 『日本書紀』天孫降臨章(第九段)に描かれる国譲りからは、正文・一書ともにオホナムチによる「治外法權的」な出雲支配の根拠を読み取ることはできない。一方で、『古事記』の国譲り条には、大国主神(オホナムチ)が葦原中国を「献」る代わりに宮の造営を要請し、その要請の達成の有無が明示されずに国譲りがなされるなど、曖昧な点を残した箇所がある。この曖昧さが果たして『古事記』の不備なのかどうかも含めて、新たな解釈の余地があると考えている。
 本発表では、『古事記』の大国主神の国譲りの場面における発言を整理し、大国主神の視座に立って国つくり・国譲りを捉え直すことで、出雲と葦原中国を区別する同神の意識を読み取ることができることを指摘する。そこに、出雲の神を利用して出雲を「辺境」に位置づける『古事記』の工夫と、「治外法權」を主張する新たな国譲り神話を創作した『出雲国風土記』の主張の根拠があると考える。



出雲から見た国譲り
吉田 修作

 出雲風土記意宇郡母理郷では、天の下造らしし大神オホナムチが越の一部を平げて帰還なさる時に詔りたもうたことは、「我が造りまして治める国は、皇御孫命の平けく世を治めよと依さし奉らむ。但し、出雲国は我が静まり坐す国と青垣を廻らして玉置き賜ひて守りたまはむ」と言われた、故に文理と言うとある。これは古事記・日本書紀の所謂国譲り神話を踏まえながら別に展開させ、オホナムチや出雲を強調しクローズアップさせたものである。古事記・日本書紀ではタカミムスヒ・アマテラスなどが主体となる「依さし」がここではオホナムチの行為とされ、そのオホナムチが「国作り」でなく「天の下造らしし」との語句を冠し、出雲国はオホナムチが静まります国とするなどとある。「天の下」は古事記・日本書紀では基本的に「天の下を知ろしめす」などと代々の天皇に冠して使用されることが多い。これらのことは出雲の倭王権に対する反発や越権というよりも、意図的な表現と捉えるべきである。
 今一つ古事記・日本書紀の国譲り神話の前段階として差異が見られるのは、出雲国造神賀詞における天上界からの使者アメノホヒの行動である。古事記・日本書紀において最初に天上界から遣わされたアメノホヒは、オホナムチ(オホクニヌシ)に「媚び」て復奏しなかったとあるが、出雲国造神賀詞では天上界から派遣されたアメノホヒが「国形見」として葦原中国の様子を見て天上に報告し、その子がオホナムチを「媚び鎮め」たとする。アメノホヒは出雲国造の遠祖などとされるから、出雲国造神賀詞でクローズアップされるのは当然で、古事記・日本書紀における扱いに対して比べようもなく大きい。そして、それらを倭王権が容認していることも認められる。アメノホヒに関して言えば、日本書紀神代紀一書ではタカミムスヒがオホナムチに国譲りの見返りとして宮の造営を約束し、アメノホヒにオホナムチの祭祀をするように司令する記事がある。その神代紀を踏まえた記事が出雲風土記楯縫郡に見られ、そこではタカミムスヒではなくカミムスヒの詔とあり、楯縫の地名由来譚として伝えられている。
 このように、出雲国風土記、出雲国造神賀詞において古事記・日本書紀とは別の国譲り神話が垣間見られるが、そのような言説が出雲側に何故に必要だったのか、また倭王権側がそれを受け入れ容認したのは何故か、各テクストの表現分析を通して、倭王権と出雲との関係性も含めて考える。


令和五年度秋季大会ポスターについて

本年度は諸般の事情で、ポスターの印刷・送付を致しておりませんため、PDFデータの形でHPに掲載致します。
恐れ入りますが、下記をクリックして頂きまして、適宜プリントアウトの上、ご勤務先等での掲示にご利用下さいますようお願い申し上げます。

【令和五年度秋季大会ポスター リンク】