秋季大会案内


秋季大会案内


上代文学会秋季大会シンポジウムご案内【ハイブリッド開催】参加費無料
日  時 二〇二二(令和四)年十一月二十六日(土) 午後一時~五時
会  場 早稲田大学 戸山キャンパス 三十三号館三階 第一会議室

Zoomを使用したオンライン参加もできます。オンライン参加を希望される会員の方は案内状の参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。
対面でご参加の方はお申し込み不要です。当日会場で発表資料をお渡しいたします。
※なお、今後のコロナ感染状況によりましては、全面オンラインとなる場合もあります。HPで最新情報をご確認下さい。
テ ー マ テキストの中の文字―上代文献と表記の位相―

 当学会では二〇一〇年に、「文字文化を問い直す―新出土資料から見る百済・新羅・倭―」と題し、上代日本と朝鮮半島の文字資料を主題としたシンポジウムを開催した。そこから十年余りが経過した現在、上代の文字資料の研究はより進歩し、また上代文学における文字・表記の研究も当時より一層の発展を迎えている。
 そこで本シンポジウムでは「テキストの中の文字」をテーマとして、韻文・散文・文字資料という三つの視点から、近年の研究成果の蓄積も踏まえつつ、改めて上代における文字・表記について論じていく。上代文献における文字使用と、そのテキストごとの位相を探求していきたい。
パネリスト及び講演題目 和歌における借訓・義訓―その修辞的役割について―
鶴見大学教授 新沢 典子
日本書紀神代巻に見える二字動詞の成り立ち―二字化・双音節化・連続動詞―
筑波大学准教授 葛西 太一
所用漢字からみる上代の文字生活
流通科学大学特任准教授 井上 幸
(司会 宮城教育大学准教授 仲谷健太郎)

◎シンポジウム終了後、常任理事会(ハイブリッド)を開催します(39号館5階・第5会議室)。


上代文学会事務局
〒112―8681東京都文京区目白台二―八―一
日本女子大学文学部 日本文学科 田中大士研究室内
上 代 文 学 会
http://jodaibungakukai.org/



発表要旨

和歌における借訓・義訓―その修辞的役割について―
鶴見大学教授 新沢 典子

 万葉集巻十秋相聞「寄雨」に配される次の歌は、陰鬱な気分を晩秋の時雨に煙る山の景に重ねて表す一首である。
  九月四具礼乃雨之山霧烟寸吾胸誰乎見者将息(⑩2263)
 春登『万葉用字格』によると、第四句に見える「烟寸」の文字は形容詞「いぶせし」の「義訓」であるという(同語を表す「鬱悒」が「正訓」に分類されている)。右の歌において、景と情との境目は判然としないが、山霧の描写が「烟」まで及ぶとするならば、煙霧のあり様を表す「烟」字は正訓的に機能しているとも見える。ただし、「烟寸」の二字が指示する内容は、和語「いぶせき」に違いなく、「烟」の字は、煙霧の様を表す一方で「寸」に上接して形容詞「いぶせし」の語幹を表すという二つの役割を果たしている。
 別の例を見たい。
  留火之明大門尓入日哉榜将別家当不見(③254)
 第二句「明大門尓」の「明」は、下接する「大門」と共に「あかしおほと」という固有名詞を示しているから、『万葉用字格』のいうように「借訓」であるに相違いない。ただし、歌を線状的に追えば「明」の字は留火の様を表すべく正訓字的に機能しているとも見える。
 上記のごとく、一部の借訓や義訓は、景と情との一致やずれに生じる感慨を表出する和歌という形式において、景と情との偶然の一致を強調(マーク)すべく機能しているように見える。後者は、
    つくしにくだりはべりけるにあかしといふところにてよみ侍ける
  ものをおもふ心のやみしくらければあかしのうらもかひなかりけり(後拾遺・羇旅529、伊周)
と同様に、名に顕る「あかし」の場とうらはらな心情を表す一首だが、詞書もなく、また説明的でもなく、趣旨が通ずるのは、「借訓」とされる「明」の用字に依るところが大きい。
 和歌という特殊な環境において、表すべき和語から離れた義を持つ字や、意味内容を直接に指示しない字で表すことの意味を、その修辞的役割に注目して考えてみたい。


日本書紀神代巻に見える二字動詞の成り立ち―二字化・双音節化・連続動詞―
筑波大学准教授 葛西 太一

 森野繁夫氏は「もとめる」意を表す「尋求」「尋究」「尋索」「尋覓」「捜覓」等を例示し、六朝訳経や古小説に用いられる新語の共通点として、同じような意味を表す二字を重ねたものが多いことを指摘した。あるいは、松尾良樹氏も日本書紀に見える「情願」「要須」「還帰」「即便」「極甚」「亦復」等を唐代口語の一例に数え、同義結合により二音節化したものと位置づけた。漢字の多義化や同音語の増加が進む場合、単字・単音節では語義の特定が難しくなるため、類義語や接辞の付加によって二字化・双音節化が図られたのではないかと想定される。口語に由来するか四字句・六字句に整えるためかは措くとしても、単一の文字で表現し得るものを二字化・双音節化する傾向のあることは注目される。
 一方、古事記には異なる意味を表す動詞を重ねる例が少なくない。なかには「痛苦泣伏」(稲羽の素菟)や「飲酔留伏寝」(八俣遠呂智)のように動詞を四つも五つも連ねた例が見られ、とくに出雲神話を中心として、連続動詞と呼ぶべき例のあることが太田善麿氏によって指摘された。漢籍仏典にも異義の動詞を重ねた例は珍しくないが、これほど連続させるものは見出し難く、漢語漢文とは異なる発想に基づく表現だと考えられる。つまり、いくつかの動詞を重ねて用いる場合、漢語としては類義語や接辞を付加するものと異義語を連ねるものとがあり、さらに古事記に見られるような連続動詞があり、それらの成り立ちや性質は異なるものと見る余地があると言える。
 日本書紀の神代巻にも異なる意味を表す動詞を重ねた「牽折」(第五段一書第六)、「逐降」(第七段本書)、「排離」(第九段一書第一)等が確認され、わずかに三字を超える例も散見する。これらの文字表現は見かけのうえでは漢語であっても、訓を前提にした連続動詞である可能性もあるだろう。それらの成り立ちを指標として、日本書紀の神代巻に見える二字動詞について考えたい。


所用漢字からみる上代の文字生活
流通科学大学特任准教授 井上 幸

 上代の文字使用を考察するにあたり、視点の一つとして、上代文献の各種資料の所用漢字とその分布に焦点をあてる。
 上代の文献における主要な漢字については、つとに、岩淵匡氏、白藤禮幸氏などの計量的な研究によって、具体的に策定されている。さらに、個々の文献の詳細な分析として、北川和秀氏による『古事記』の分析結果等、計量的な多くの研究成果が蓄積されて久しい。さらに、個々の資料の用字分析については、これまで多くの蓄積があることは言うまでもなく、新たな研究も絶えず進行している。
 また、この間に発掘が進められた木簡の漢字の蓄積も膨大な量となり、暫定的な観測にはなるが、同資料群での一定の傾向はうかがい知ることができるようになっている(拙稿。範囲は飛鳥地域・藤原京、平城京出土分〈奈良文化財研究所調査〉に便宜上限定。以下同じ)。本発表の試みの一つとして、木簡についての旧稿後の情報の追加とその他の一次資料の一部の所用漢字情報を加えた上で、単漢字としての分布状況や、上述の他資料の成果を援用して、木簡とそれ以外の資料群の接点・距離をみながら概要を把握する。そして、主に、木簡を使用する実務者周辺で、どのような漢字にふれ得ることができ、その漢字がどのように当時の字彙・語彙を形成していたのかなど、その特徴を、いますこし、具体的に整理し、当時の文字生活の一様相を瞥見する。




上代文学会秋季大会研究発表会ご案内 【ハイブリッド開催】  参加費無料
日  時 二〇二二年(令和四年)一一月二七日(日)午後一時~五時
会  場 日本大学通信教育部 1号館7階 71講堂 (JR市ヶ谷駅から徒歩3分)

Zoomを使用したオンライン参加もできます。オンライン参加を希望される会員の方は案内状に掲載している参加申し込み方法をご覧の上、事前にお申し込みください。後日ZoomのURL、発表資料等をメールでお送りいたします。
対面でご参加の方はお申し込み不要です。当日会場で発表資料をお渡しいたします。
※なお、今後のコロナ感染状況によりましては、全面オンラインとなる場合もあります。HPで最新情報をご確認下さい。
研究発表 十市皇女挽歌の方法
武蔵野大学専任講師 大島 武宙
(司会 筑波大学助教 茂野 智大)
テキストに作られる「季節」―巻一〇春相聞、問答歌の表現から―
同朋大学専任講師 山﨑 健太
(司会 フェリス女学院大学教授 松田 浩)
うらぐはし児 それそ我が妻―『万葉集』三二九五~三二九六番歌の表現性―
清泉女子大学非常勤講師 太田 真理
(司会 二松学舎大学教授 塩沢 一平)
「丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登」の背景
梅花女子大学教授 市瀬 雅之
(司会 日本大学教授 野口 恵子)

上代文学会事務局
〒112―8681 東京都文京区目白台二―八―一
日本女子大学文学部日本文学科田中大士研究室内
上 代 文 学 会
http://jodaibungakukai.org/


発表要旨

十市皇女挽歌の方法
大島 武宙

  『万葉集』において、十市皇女の名は、伊勢神宮に参赴した際の吹芡刀自の歌(1・二二)と高市皇子による挽歌三首(2・一五六~八)の二箇所に見えるが、いずれも「明日香清御原宮(御宇)天皇代」の標目の直後に置かれている。このことは、巻二相聞部および挽歌部の「藤原宮御宇天皇代」の標目の直後が大津皇子関連歌群で占められていることを想起させ(一〇五~九、一六三~六)、『万葉集』の語る天武朝の歴史のなかでは、十市皇女に特別な位置が与えられているように思われる。
十市皇女挽歌の一五六歌は第三、四句が難訓だが、結句「い寝ぬ夜ぞ多き」は皇女を強く恋慕するゆえに眠れないことをうたうもので、一首は十市皇女への切迫した心情の表現と考えられる。一五七歌の「かくのみからに長くと思ひき」は、思いがけない皇女の夭逝を踏まえて、その長命を願っていたかつての心情を回想する。一五八歌は、去ってゆく皇女のほうへ「行く」ということを望みながらも、その「道」がわからない嘆きをうたうのであろう。皇女の所在がわからなくなったことを受け止めながらも、尽きることのない慕情を述べるのである。
かように、現在の切迫した嘆きから、回想を挿み、ふたたび現在の、相手への尽きせぬ思いを述べる三首の展開は、斉明紀の建皇子挽歌三首(紀一一六~八)と類似性を感じさせる。「雲だにも著くし立たば何か嘆かむ」(一一六)、「若くありきと我が思はなくに」(一一七)、「間もなくも思ほゆるかも」(一一八)の三首もまた、切迫した慕情、かつての思いと現状の落差、そして尽きせぬ思いをうたう。両歌群の比較から、短歌形式の三首による挽歌の構想に類型化が生じていた可能性がうかがえる。そのうえで、孝徳紀と斉明紀が蘇我倉山田石川麻呂、造媛、建皇子の死を語っていたことを手がかりに、『万葉集』が天武朝のはじめに十市皇女の死を位置づけていることの意味についても考えてみたい。


テキストに作られる「季節」―巻一〇春相聞、問答歌の表現から―
山﨑 健太

 『万葉集』巻一〇春相聞の「問答」部は五組の問答(最後のみ三首)からなるが、その冒頭の組(一九二六、一九二七)の左注に「右の一首は、春の歌にはあらざれども、なほし和へなるをもちてのゆゑに、この次に載す」と記される。確かに一九二七は「石上布留の神杉」のように「神び」てしまった「我」のことを歌うが、春の歌であるような要素を持たない。
しかし、その一九二七を「次に載」せる根拠とされる一九二六を振り返ってみても、歌中の春の要素と目される「春山の馬酔木の花」は、単体では確かに春の景と言えるであろうが、歌の表現としての「春山の馬酔木の花の悪しからぬ君」は、その答歌として一九二七のような歌が置かれることも含め、本当に「春」の「問答」の表現といいうるのか疑問である。
 そのような視点で続く一九二八、一九二九を眺めてみても、「佐野方」が不明であるにしろ、「実にならずとも花にのみ咲きて見えこそ」は、「佐野方」におけるどの季節を中心にしているのか不明であるし、「実になりにしを」はその後に続けて「春雨降りて花咲かめやも」と「春雨」は出てきているにせよ、すでに実になってしまっているのだから「春雨」は降らないし、「花」も咲かないといっているのだから、「春」の表現ではあり得ない。問うべきは、これらをして「春 問答」と扱いうるテキストの論理であろう。
本発表では、「春 問答」部の歌の表現を分析し、それらを「春」の歌たらしめている根拠を、同じ巻一〇、「春 雑歌」部のありようから説明していく。「春 雑歌」部は「人麻呂歌集歌」から始まり、天平期の歌を並べることで歌の詠物の広がりを示していくが、その展開の中で、「春 相聞」部、そしてその中に置かれる「問答」部の歌の「春」の歌たる根拠が用意されていくことを示す。結論として、巻一〇が提示する「春」とは、実体的な季節ではなく、テキストの展開の中で構成され、読み取られるべき概念としてあることを示したい。



うらぐはし児 それそ我が妻―『万葉集』三二九五~三二九六番歌の表現性―
太田 真理

『万葉集』の三二九五~三二九六番歌を取りあげる。長歌一首と反歌一首で構成され、巻第十三の相聞部に分類される歌である。長歌は、集中でも希少な親子の問答の形をとる。夏草の中を苦労して妻問いをする息子に、親が「いかなるや 人の児故そ」と相手の娘について問い質す。息子は、未だ父母の見知らぬ娘の美しさを詳細に述べ、安心させるかのように「うらぐはし児 それそ我が妻」と答える。反歌では、長歌の詞句を繰り返す形で、妻の許に通う様子を改めて詠む。
長歌の問答が、「父母の問を假設し、それに子が答える形」(全註釋)であり、一つの「表現技法」(私注)として虚構であることは諸説の通りであろう。そのうえで、長歌と反歌の関係性が主な論点となってきた。これについては、鈴木武晴氏が諸説を整理し「当面歌において、長歌三二九五番歌が問答という対詠の形をとり、反歌が独詠の形をとっているのは、歌語りと密接にかかわっているのではないか」とした。氏は、長歌と反歌の父・母の呼称の順序の差異に注目し、長歌が母系制時代の名残りをとどめるのに対し、反歌はずっと後に添加された可能性を指摘。その目的は、長歌の「劇的」「物語的」な効果を高めることにあったと、作者の創作意識を考察した。(「父母に知らせぬ子ゆゑ―『萬葉集』巻第十三・三二九五~三二九六番歌の論―」『萬葉学藻』塙書房一九九六・八)
一方、近年の注釈書では「うらぐはし児 それそ我が妻」に凝縮される長歌の答部分を「積極的に自慢している」として、「実は仲間同士であるため、(略)のろけたのではなかろうか」(私注)と解釈したり、「そこに笑いがあろう」(和歌大系)と諧謔性や戯笑性を指摘する。万葉集の相聞歌は、恋の切なさを詠むことが多く、恋の成就を喜んだり相手を讃美したりする歌は多くは無いが、例はみられる。こうした歌は、歌垣や宴といった場での表現も視野に入れて検討し直してみる必要があるのではないか。本発表では、このような視点から、当該歌の表現性について再考したい。



「丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登」の背景
市瀬 雅之

 『万葉集』巻二に収められている一三〇番歌は、訓読にも解釈にも揺れを残している。特に上二句は「丹生の河 瀬は渡ずて」と訓読され、丹生川を渡らない者が誰なのかが問われてきた。諸注釈の多くは、長皇子か弟の弓削皇子のどちらかを想起するのだが、「丹生乃河」から歌い起こされることとの関わりは問題にされない。上二句が「由久遊久登」の序であると捉えてみると、「瀬者不渡而」とある者は「丹生乃河」の景の中にこそ求められるべきではないのか。
丹生川を詠む巻十三・三二三二~三三番歌に留意すると、「斧取りて 丹生の檜山の 木伐り来て 筏に作り ま梶貫き 磯漕ぎ廻つつ」(三二三二)と表現されている者が詠まれている。飯泉健司「水路―筏師」(『王権と民の文学――記紀の論理と万葉人の生き様』武蔵野書院 二〇二〇年、初出は一九九〇年)は、ここに「丹生神人集団」の労働情景を見出した。「丹生神人集団」が奉祭する丹生都比売神社に留意すると、『播磨国風土記』逸文には、「尓保都比売命」が息長帯日売命(神功皇后)の新羅平定を手伝い、紀伊国の管川にある藤代の峰に奉られたとある。「尓保都比売命」には、高野山金剛峯寺との関係を結ぶ以前の丹生都比売神の姿が見出される(市瀬雅之「紀伊国・玉津島の稚日女尊と天野祝が祀る丹生都比売神 ―『紀伊続風土記』の検証を手がかりにして―」 『梅花女子大学文化表現学部紀要』一七号 二〇二一年)。
 歌の解釈に、テキストの外の情報を持ち込むと多様な理解が可能になるとの批判は甘んじて受けねばならないが、「瀬者不渡而」には、丹生川の流れに船や筏を巧みに操る者たちの姿が景として想起されることで、その活気を「由久遊久登」と表す序詞となる。長皇子が「戀痛吾弟」である弓削皇子に、そのように「乞通来祢」と尋ね来ることを求めた歌の理解が可能となる。
 長皇子の他の歌も、上句にはすべて序詞が用いられている。その表現の特徴を、当該歌にも具体的に尋ねてみたい。

上代文学会例会・秋季大会研究発表会の発表者募集
発表をご希望の方は、例会係(塩沢一平・野口恵子・森 陽香・山﨑健司・渡邉正人)までご連絡ください。お待ちしております。
reikai@jodaibungakukai.org

天災・停電などの非常事態でオンライン実施に大きな影響が出た場合には、
やむをえず秋季大会研究発表開催を中止する場合がありますが、
中止の周知は、多くの場合困難ですので、ご了承ください。
携帯電話からもアクセス可能な、上代文学会非常用連絡サイトを開設しております。
URL  http://jodaibungakukai.blog.fc2.com/
このサイトに、非常時にあたっての秋季大会研究発表中止等の情報が載ることもありますので、
非常時に際してはご確認ください(状況によっては、情報の掲示が困難になる場合もあります)。
このサイトは、あくまで非常時の緊急情報連絡用ですので、書き込みはできません。