秋季大会案内


秋季大会案内


平成30(2018)年度上代文学会秋季大会・シンポジウム ご案内
日  時 2018年11月17日(土)午後2時~5時30分
会  場 駒澤大学・駒沢キャンパス 1号館301教場
テ ー マ 山上憶良と漢籍・仏典

 『万葉集』における異色の歌人、山上憶良の作品は、作家論・表記論・出典の考察、またその特異な主題などをめぐって、さまざまなアプローチで研究されてきたが、まだまだ、その作品の内奥が解明されたとは言えない。憶良の思想の背景に儒教・仏教などの東アジアの思想・宗教の影響を想定することは論を俟たない。とはいえ、憶良は官人であり、歌人である。舶来の典籍や思想を、どのように作品に取り込んでいるのか、斯界の第一人者に改めて論じてもらい、今考えられる問題点、今後の展望などを考える場としたい。
パネリスト及び講演題目 山上憶良の天平元年七夕長歌作品について
甲南大学教授 廣川 晶輝
「従来厭離此穢土」―憶良が基づいた仏教言説―
早稲田大学教授 高松 寿夫
山上憶良と漢籍・仏典―「始終之恒数」と「存亡之大期」をめぐって―
國學院大學名誉教授 辰巳 正明
(司会 大東文化大学教授 山口 敦史)
発表要旨

山上憶良の天平元年七夕長歌作品について
廣川 晶輝

 本発表は山上憶良の七夕長歌作品(『万葉集』巻8・一五二〇~一五二二番歌)を考察の対象とする。これは複数の年の七夕作品から成る一群(題詞「山上臣憶良七夕歌十二首」あり)に属すが、長歌作品であるのは「右天平元年七月七日夜憶良仰二觀天河一 一云帥家作」という左注を持つ当該作品のみである。当該作品が長歌作品という形態を採用している意義を〔長歌+反歌〕の構成に注意して読み解くことをとおして、本シンポジウムのテーマ「山上憶良と漢籍・仏典」に即し漢籍受容のありように迫るのが本発表の主眼点である。
 長歌作品という形態の採用は作中の叙述の主体の変化を可能にする。「彦星は 織女と 天地の 分れし時ゆ … 川に向き立ち」という七夕伝説の説明で歌い起こされる長歌冒頭には牽牛・織女を第三者として歌う叙述の主体がある。この主体は長歌中間から牽牛当事者の立場に立つ主体へと変わり、第一・第二反歌も同様である。この主体の変化は牽牛の心中の綿密な描出を可能にする。そして七夕伝説の枠組の約束事自体を逸脱する「あまた夜も 寝ねてしかも」「秋にあらずとも」という長歌末尾の牽牛の願望を導き出す。また第二反歌では「あまたすべなき」と歌い七夕伝説の約束事が厳然と存在する現実に対しての牽牛の一転した自覚を導き出す。七夕伝説の枠組の約束事自体を逸脱するこの表現の存在は注目に値する。この表現の出現の素地を整えるのが、同じく七夕伝説の枠組における空間を逸脱し大海原の空間の拡がりを作品内に創出する「青浪」(原文)である。従来この「青浪」は漢語の訓読と説かれ「白雲」との色対が指摘されて来た。本発表では、漢籍受容の表現が当該作品の展開を担う重要な機能を果たしていることを指摘するとともに、「サヨヒメ伝説」歌(『万葉集』巻5)の山上憶良の表現および『懐風藻』『続日本紀』等の表現の分析をとおして、この漢籍表現「青浪」の日本なりの変容のあり方をも指摘したい。

「従来厭離此穢土」―憶良が基づいた仏教言説―
高松 寿夫

 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹
 上は、「日本挽歌」(『万葉集』巻五・七九四~七九九)に前置される七言詩で、「日本挽歌」と同時に山上憶良が詠作したものと考えられる。この詩の第三句には、浄土信仰の文脈ではお馴染みのフレーズが認められる。当該の憶良詩の詩想について詳細な分析を加えた芳賀紀雄「憶良の挽歌詩」(一九七八年初出、『万葉集における中国文学の受容』塙書房)でも、この句については、「いわゆる「厭離穢土、欣求浄土」の念を開陳し」(傍点は高松)といい、また「憶良が第三句で言及する「厭離穢土」の教説は、かれならずとも理解の届くところであろう」と述べるにとどまり、いわば常識的仏教言説といった捉え方で済ませている。この認識は芳賀氏論文にとどまらず、近年の諸注釈にも共通していると見え、第三句に殊更の注を付したものを見出せない。しかしこんにちの我々にとって、「厭離穢土」なる文言が常識的仏教言説となっている源泉は、源信『往生要集』冒頭にこの句が掲げられていることに求められる。十世紀後半の著述によって定着した「常識」を、八世紀前半の言説にあてはめて批評することが適切でないことは明白である。幸い、電子データベースが整ったこんにちでは、憶良詩より古い「厭離穢土」の用例は容易に見出すことができる。大正蔵データベースSATによると、憶良以前のテキストとしては、わずか二例が見出せるに過ぎない。窺基『説無垢称経疏』と懐感『釈浄土群疑記』がそれ。いずれも七世紀後半、唐で述作されたものである。浄土教的文脈としては後者が注目されるが、当該の憶良詩の序に相当する散文に「維摩大士」の名が見え、その他の用語にも『維摩経』関係の言説の影響が指摘されることに照らせば、前者も蔑ろにはできない。憶良はこの言説をなにによって知り、どのように理解していたのかを検討し、憶良詩そのものの解釈の更新を試みたい。

山上憶良と漢籍・仏典―「始終之恒数」と「存亡之大期」をめぐって―
辰巳 正明

 憶良の作品に見る漢籍・仏典は、歌の根拠としてあるのではない。むしろ、漢籍仏典が憶良の歌の根拠である。そのことを語るのは、歌に付される漢文の序であり、漢文と漢詩であり、さらには漢文のみの文章である。このような漢籍・仏典を理解することで、憶良は自らの作品の根拠とする。惑う情を返すのも、子等を思うのもこれらを根拠とする。しかしながら、漢籍と仏典とではその思想性も教えも大きく異なる。むしろ、この二つは相容れないものであろう。そのことによって、後漢の時代から長く対立する存在であった。この対立も六朝時代には互いに歩み寄りもみせる。憶良が引き受けた漢籍・仏典は、このような時代の思想を背景としている。すなわち、漢籍(儒教)と仏典(仏教)との対立と一致めぐる思想の歴史のなかで、この世での人間の徳(儒教)と来世への救済(仏教)という思想の根源へ向かわざるを得なかったのである。そのような思想を引き受けたことにより、憶良は漢籍・仏典を前に保留の態度を取る。その理由は、生きることへの強い執着や愛着による。漢籍・仏典の思想を超えて、憶良が選択したのは生への希求である。できることなら、平穏な生でありたいという希求である。実に平凡なことのなかに、憶良の願いがあった。ここに取り上げる「始終之恒数」(始めあれば終わりがあるという道理)も「存亡之大期」(生死輪廻の道理)も、生死の終極を指す言葉であり、思考の極を示す言葉である。このことを通して憶良は「沈痾自哀文」で「欲言言窮。何以言之。欲慮慮絶。何由慮之」(言うべき言葉は窮まり、どのように言うべきか。思慮すべき思いは絶え、どのように思慮すべきか)と述べて思考を放棄する。それは、「いくら考えても、解決が困難である」という結論である。そこに見出されたのは、生への愛着にあった。



平成30(2018)年度上代文学会秋季大会・研究発表会 ご案内
日  時 平成30年11月18日(日)午後1時~5時
会  場 國學院大學渋谷キャンパス 國學院大學130周年記念5号館2階5202
研究発表 常陸国風土記』賀毘礼之高峯条にみる祭祀の論理―「理」「天」「聴」から―
早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程 奥田 惇
(司会 九州女子大学教授 奥田 俊博)
『懐風藻』詩における『高氏三宴詩集』の受容―七五番詩の分析を手掛かりに―
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程 林 宇
(司会 東京大学教授 鉄野 昌弘)
上代における「カムガカリ」再考
   ―『日本書紀』の「顕神明之憑談」を手がかりとして―
九州大学人文科学研究院専門研究員 藤崎 祐二
(司会 相模女子大学准教授 山田 純)
万葉集巻十六巻末「怕物歌三首」の連関的理解と難訓部分の読解
長崎大学名誉教授 勝俣 隆
(司会 フェリス女学院大学教授 松田 浩)

発表要旨

『常陸国風土記』賀毘礼之高峯条にみる祭祀の論理―「理」「天」「聴」から―
奥田 惇

 人々に害を為す神の説話は「風土記」中に散見し、そういった「荒神」の説話は、境界や交通妨害といった観点から論じられてきた。『常陸国風土記』久慈郡賀毘礼之高峯の条にも、「荒神」という記述はないものの、「天神」である立速男命が人々に祟りを為し、困った近隣住民が朝廷に陳情したところ、中央から片岡大連が派遣され、敬い祭ることによりその神を境界の鎮座地へと導き鎮めるという一つの説話がある。当該説話には、神を「理」でもって祭り鎮めようとすることや、その「理」を神が素直に「聴」き入れ鎮座すること、そして他に名の見えない立速男命という神が「天神」と称されていることといったように、考えるべき不審点が複数存在している。
 それら不審点に対する考察として、まずは「理」という文字について、平安初期頃までの訓点や上代文献における用例と合せて検討することにより、「コトワリ、ツクル、ヲサム」といった想定しうる訓を挙げ、訓の確定を行いたい。「聴」という文字についても同様に、訓点や他文献における用例と合せて検討するとともに、行方郡において夜刀神を祭る際に用いられている「聴」との比較を通して、「キク、ユルス、ウケタマハル」といった想定しうる訓を挙げ、訓の確定を行いたい。また「天神」という言葉については、『常陸国風土記』中の他の「天」の用例などとの比較検討を行うこととする。
 以上の検討を踏まえ、当該説話における「理」「聴」そして「天」という言葉の有する意味を考えていくと、そこには、「天神」という称を付加することによって、「理」を「聴」きいれる統御可能な存在として祭り鎮めるという、中央にとっての地方祭祀の論理の一端を垣間見ることができるのではないか。重層性を持った「風土記」の記述中における、人と神との関係、在地と中央との関係を明らかにする上での考察の一環として、本発表を行うこととしたい。


『懐風藻』詩における『高氏三宴詩集』の受容―七五番詩の分析を手掛かりに―
林 宇

 『懐風藻』には、『文選』や『芸文類聚』といった六朝の書物に習う傾向に加え、初唐などのほぼ同時代の詩文受容の痕跡も著しい。従来、唐太宗の詩文や駱賓王や王勃の別集などの受容が指摘される。本発表では、『高氏三宴詩集』の存在に注目し、その受容の具体相を『懐風藻』七五番詩(百済和麻呂「初春於左僕射長王宅讌」)を中心に指摘する。
 『高氏三宴詩集』とは、初唐の高正臣が、自邸で行った、三回の詩宴の作品を集めたものである。『懐風藻』詩における『高氏三宴詩集』の受容は、既に加藤有子氏(「『懐風藻』所引の故事と風景―大津皇子詩と中国文学との比較から―」〈『日本文学研究』第五七号 大東文化大学〉など)によって言及されている。しかし、七五番詩「帝里浮春色。上林開景華。芳梅含雪散。嫩柳帯風斜。庭燠将滋草。林寒未笑花。鶉衣追野坐。鶴蓋入山家。芳舎塵思寂。拙場風響譁。琴樽興未已。誰載習池車。」には、加藤氏の指摘された「梅芳帯雪花」、「追宴入山家」等との類似以外にも、なお多くの受容の跡が認められる。例えば、第四句目の「嫩柳帯風斜」は「絲竹帯風斜」、そして、第十二句目の「興」の字のような初唐からの宴席詩に見られる興趣を表す表現も、『高氏三宴詩集』に多くの例が確認される。また、七五番詩の六つの韻字のうち五つまでもが『高氏三宴詩集』の第一詩群と重なっている。それらが偶然の結果である可能性は低く、むしろ七五番詩の作者百済和麻呂が意図的に『高氏三宴詩集』の表現を受容したことを裏付けている。
 『高氏三宴詩集』に対する意識は、七五番詩にとどまらない。七五番詩の作者百済和麻呂の別作品及びその周辺の詩作にも、『高氏三宴詩集』に対する受容の痕跡が確認される。本発表では七五番詩を手掛かりに、百済和麻呂及びその同時代における『高氏三宴詩集』受容の形式を展望してみたい。


上代における「カムガカリ」再考―『日本書紀』の「顕神明之憑談」を手がかりとして―
藤崎 祐二

 「カムガカリ」とは、天鈿女命が天照大神を天石窟から誘い出すために試みた行為であり、記紀はそれぞれ「神懸」、「顕神明之憑談」と表記し、『日本書紀』にのみ「歌牟鵝可梨」の訓注が添えられている。一方、記紀に散見する託宣の場面には、憑依を意味すると考えられる漢字「託」「著(着)」などが使用されており、これらは諸注釈に「カカル」と読まれ、「カムガカリ」と同列に扱われる傾向がある。しかし、託宣の場面には、神が人間を媒介して意思を伝達する様子が明確に描かれているのに対し、「カムガカリ」は、それと分かる明確な描写を欠いているため、憑依現象の有無を判断することが難しい。
 両者の相違を重視し、上代の用例に基づいて読みを検証すると、「託」「著(着)」は「ツク」と対応しており、「カムガカリ」の「カカル」とは区別されるべき蓋然性の高いことが知られる。また、「カカル」は、「ツク」との比較において、強い付着を意味する用法が見られないことから、憑依を意味する語として相応しくないと考えられる。そこで、上代における「カムガカリ」とはどのような行為なのか、「顕神明之憑談」の文字列を手がかりとして、その語義を再考することとする。
 「顕神明之憑談」は、「神が接近し談ずる内容を顕かにする」のごとき意味で、「カムガカリ」の内実を最大公約数的に説明したものではないだろうか。このような仮定に基づいて記紀を見渡すと、天鈿女命が登場するもう一つの場面である天孫降臨をはじめ、文字列と重なる展開を持つ場面が、複数存在することに思い至る。天石窟とこれらの場面を比較検討し、「カムガカリ」とは、必ずしも憑依現象を伴うとは限らないところの「神との関わりや交流」を意味する語と結論付ける。


万葉集巻十六巻末「怕物歌三首」の連関的理解と難訓部分の読解
勝俣 隆

 巻十六の三八八七から三八八九番までの「怕物歌三首」は、どの歌も歌意が今一つ判然としないものとして知られる。本発表では、先行論を踏まえ問題点を整理し、三首を連関的に理解し、難訓部分をどう解釈すべきか考えたい。
 『釋注』で伊藤博氏は、三首が、「天―海―地となっていることに深い意味」を見出され、第一首では、「ささらの小野に生い茂る草」に「人の死を救う呪力」を得ようとしたが、鶉に驚いて果たせず、第二首では、その結果亡くなって精霊船で生き返れぬ沖つ国へ遣られ、第三首では、死後、人魂となったあの君と「出くわした暗い雨の夜」を思い出すとされ、「人間の霊の推移・行方に対応し、三首は一つの話になっている。」とする。
 本発表では、「怕物歌三首」の共通モティーフを「死者の霊魂に対する恐れ」と捉え、伊藤氏同様に三首を連関的に解釈したい。ただ、細部の理解は少し異なる。第一首では、「神楽良の小野」は三日月状の月の姿であり、四二〇番歌と合わせ考え、死者の霊魂の集積場所と見なし、鶉は、死者の霊魂を運ぶ運搬者、あるいは霊魂自体の象徴と捉える。特に、「草刈りばかに」は、「草刈り場の自分の分担範囲」とされるが、従来、等閑視された。しかし、魂を復活できる草を刈るための自分の範囲が決まっていることは、その範囲の草を刈っている間に鶉という魂の象徴が飛び立たなければ、自分と関わる人の魂の復活が可能だと言う意味が込められているように思われる。それ故、当該歌の場合は、鶉が飛び立った結果、魂の復活に失敗したと言う内容になるのではないか。第二首は、死者の霊魂を運ぶ屋形船、第三首も、「人魂」そのものを詠んだ歌と理解し、三首を連関的に読み解きたい。その場合、問題となるのが「葉非左思所念」の難訓部分である。ほとんどの注釈書で訓義未詳とされているが、上述の観点から、本発表では、従来とは異なる一つの解釈を提示してみたいと思う。

上代文学会 平成31年度(2019年度)例会発表者募集
発表をご希望の方は、例会係(大浦誠士・烏谷知子・野口恵子・松田浩・渡邉正人)までご連絡ください。reikai@jodaibungakukai.org


天災・停電などの非常事態で交通機関などに大きな影響が出た場合には、 やむをえず例会開催を中止することがありますが、中止の周知は、多くの場合困難ですので、 ご了承ください。
携帯電話からもアクセス可能な、上代文学会非常時用連絡サイトを開設しました。
   URL : http://jodaibungakukai.blog.fc2.com/
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このサイトは、あくまで非常時の緊急情報連絡用ですので、書き込みはできません。