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平成30年度上代文学会大会は、5月26日(土)~5月28日(月)に開催され、盛況のうちに幕を閉じました。厚く御礼申し上げます。
なお、次年度大会は、2019年5月25日(土)~5月27日(月)の日程で九州女子大学・九州共立大学において開催の予定です。


平成30年度 上代文学会大会案内
期  日 平成30年5月26日(土)・27日(日)・28日(月)
会  場 皇學館大学
 伊勢市駅(JR・近鉄)または宇治山田駅(近鉄)より内宮行バス(徴古館前経由)または宿浦行バスにて皇學館大学前下車(約10分)。
 徒歩の場合は、宇治山田駅より約20分。
 〒516-8555 三重県伊勢市神田久志本町1704

日  程
― 26日(土) ―
理事会 (午後0時30分~1時30分)   皇學館大学 2号館 211教室
公開講演会 (午後2時~4時30分)   皇學館大学 百周年記念講堂

学会挨拶 挨   拶 常陸国風土記の注釈と水戸学 歌譜と琴音 ―『琴歌譜』における歌曲の構成―
上代文学会賞贈呈式 (午後4時30分~4時40分)
総会 (午後4時40分~5時30分)
懇親会 (午後6時10分~8時10分)
会場 伊勢シティホテル
会費 7,000円(院生・学生5,000円)
― 27日(日) ―
研究発表会 (午前9時30分~午後4時30分) 皇學館大学 2号館 231教室
《午前の部》
吉野の花 ―中臣人足「遊吉野宮」詩の「花鳥」―
『古事記』における漢文助辞「莫」「勿」「無」
京都大学国語国文学研究室蔵『万葉集』について
 ―昼食―

《午後の部》
『古今和歌六帖』所収「人麻呂歌集略体歌」の性格―次点本との関係から― 『播磨国風土記』揖保郡意比川条考 ―「相圧」の考察を中心に― 『古事記』の「焼津」考 国語教科書の『万葉集』 ―佐佐木信綱をめぐる戦中・戦後―
― 28日(月) ―
臨地研究 ※学会からは特に案内はいたしません。

発表要旨
吉野の花 ―中臣人足「遊吉野宮」詩の「花鳥」―

 『懐風藻』には、中臣人足による「遊吉野宮」と題された二首の詩がある。この両詩は、五言八句体の四十五番詩と、五言四句体の四十六番詩から成り、どちらも吉野の景を、山と川を中心にして描いてゆく。両詩は概ね同じような詩想になっていると見ることができるが、四十五番詩で「魚鳥」と表現されていたものが、四十六番詩では「花鳥」として表現される。
 「魚」と「鳥」は、『懐風藻』においても他の詩の中で吉野の景物の代表例として挙げられており、また漢籍においても「魚鳥」の語は唐より前から見られる。一方「花鳥」の語は『懐風藻』中他例なく、花と鳥との組み合わせは、梅と鴬とを中心に数首出てくるが、どれも吉野の詩ではない。また漢籍を見てみても、六朝以前に用例はなく、上官儀や唐の太宗の頃から使われ始める、新しい語である。人足の当該詩での「花鳥」は、特異な使われ方といえる。この「花鳥」はどのような意識で用いられたのだろうか。
 『懐風藻』においては吉野の花が詠まれてはいないが、『万葉集』中における吉野の歌では、その景物として「花」、「黄葉」、「鳥」が詠まれている。そして「花」を詠み込んでいるのは人麻呂作歌のものである。従来人足の詩は天皇賛美に関わる言葉が少なく、吉野の自然を主眼としたものとの指摘が為されていた。辰巳正明『懐風藻全注釈』は当該詩を人麻呂の吉野歌と同じ心境であると述べているが、それは人足が吉野の景物として「花」を持ってきたところから読み取れるのではないだろうか。人足は、「仁智」や「鳳閣」などの天皇の存在は匂わせつつ、それ以上の天皇賛美の言葉は使わずに吉野の自然を中心に据えた。しかしその中で一点、「花」を入れることによって、その吉野の自然を、人麻呂の賛美した吉野と重ね合わせ、天皇賛美へと結びつけたのではなかろうか。その際の語として、漢土においても新しい「花鳥」の語を取り入れて使ったのではないだろうか。


『古事記』における漢文助辞「莫」「勿」「無」

 本発表は『古事記』に用いられる禁止を表す助辞「莫」「勿」「無」を対象とし、中国古典語の用法との比較を通して、その用法や使い分けにおいて、漢籍との関連性の有無や、どのような類似と差異があるのか、などの問題について考察するものである。
 中国古典語において、禁止を表す場合、動詞の前に禁止の助辞が用いられ、常用のものには「莫」「勿」「無」「毋」が挙げられる。これらは同訓類義語であるが、従来の研究と今回の調査とによって、以下のようなことが知られる。禁止を表す「莫」は「勿」や「無」、「毋」より遅く現れ、上古においては稀に使用されていたが、中古になってから、その使用頻度が増え、特に漢訳仏典などの口語資料では優位を占める。その影響で、本来禁止の助辞としてよく使われていた「勿」と「無」の使用率が低下し、「毋」は完全に消滅することになる。
 一方、『古事記』における調査では、禁止の助辞として主に「莫」が用いられる。中国の歴史書では「莫」は否定の用法が多く、禁止の用法は少ないが、『経律異相』や『遊仙窟』などの口語資料に『古事記』と同じ使用傾向が見受けられる。また、「勿」と「無」には禁止の用例が一、二例あったが、その大半は否定の用法である。「毋」の使用はない。これは禁止を表す場合、「莫」が優先的に選択されるためと思われる。今回の調査結果として、『古事記』における「莫」「勿」「無」(「毋」)の使用はすべて漢文の用法と一致する上、特に漢訳仏典や俗語資料など漢籍の口語資料と似た使用傾向も見られた。
 この調査結果は、これまでに他の助辞(「於」「于」「以」「自」「従」など)を中国古典語の用法と対照させた結果と同様に、その使用や選択の基準は、漢文の用法に支配されていることが見てとれる。『古事記』の文章は、古語的に表現されていると言われてきたが、漢字で書かれているため、やはり完全に漢文の規範から離脱することができなかったと思われる。


京都大学国語国文学研究室蔵『万葉集』について

 京都大学国語国文学研究室に、零本七冊の『万葉集』が所蔵されている。この本は、巻二、三は仙覚本、巻八以降の五巻は惺窩校正本という取り合わせ本である。この巻二、三は、『校本万葉集』に「純粋ならざる仙覚本」と言及されて以来、注目されていない。ところが、私による調査の結果、巻二、三にある墨によるイ本・イ訓書入は、京都大学附属図書館所蔵「曼朱院本万葉集」(以下、「京大本」)代赭書入と一致するところが多い。つまり、中院本系統本で代赭または紫で書き入れられることの多い、禁裏御本書入を持つ本であることが分かった。しかし、『校本万葉集』にも指摘があるように、当該本の巻二「吉備津采女挽歌」(二一七歌)には本文として「悔(クヤシ)弥可(ミカ)・念(オモヒ)恋(コフ)良(ラ)武(ム)」の句が存在している。すなわち、当該本は中院本系の伝本ではなく、文永十年本ですらない。つまり、中院本系に特有の禁裏御本書入を持ちながら、文永三年本か、それ以前の古い本文を持つ本であるということになる。当該本は、いったいどのような素性の本文であり、なぜ禁裏御本書入を持つのであろうか。
 当該本の本文を、京大本、および陽明文庫所蔵「古活字本万葉集」書入と比較検討した結果、当該本が、これまで推定されてきた禁裏御本のすがたをそのままに留めた本であることが明らかになった。つまり、寛元本と文永三年本によって校訂された本文を持ち、禁裏御本書入本と共通するイ本・イ訓書入を持つ本である。当該本の存在は、中院本系統本の奥書からの推定でしかなかった「寛元本と文永本の両方の本文を持つ」禁裏御本が確かに存在したことを意味する。近世期の写本に大きな影響を与えた禁裏御本のすがたが写本のかたちで現存していることが確かめられたことは、今後、近世期における『万葉集』受容についての研究を進展させるための第一歩となると考えられる。


『古今和歌六帖』所収「人麻呂歌集略体歌」の性格 ―次点本との関係から―

十世紀後半から十一世紀前半は、『萬葉集』所収のうたを採録する歌集が多くあらわれる時代といってよい。勅撰集の『拾遺和歌集』、私家集の『人麿集』、『赤人集』などだが、中でも群を抜いて多くの萬葉歌を収めるのが私撰集『古今和歌六帖』である。『六帖』は約四千五百首の大部な類題和歌集で、総歌数のおおよそ四分の一にあたる一千百首ほどが萬葉歌と認定されている(中西進『古今六帖の万葉歌』、澁谷虎雄『古文献所 収万葉和歌集成 平安・鎌倉期』など)。
 ただしその萬葉歌の性格については、大久保正「古今和歌六帖の萬葉歌について」が「萬葉集から直接採取されたものが大多數ではあらう」とする一方、「六帖歌の供給源として傳承歌の流れを考へなければならない」とも述べている。この見方は、『平安文学研究ハンドブック』のような比較的最近(二〇〇四年)の梗概書にも、「平安時代の古訓を伝えるとの見方もある一方で、伝誦の一過程を残すとする捉え方もできる」(青木太朗)と継承されている。
 本発表ではこのような研究史を踏まえ、『六帖』所収萬葉歌の性格を検討する。ただし、千を超える萬葉歌を一度に検討することは不可能であるため、今回は『六帖』に六七首(うち六首は重複歌)が取られている「人麻呂歌集略体歌」を対象とする。周知のとおり、略体歌は助詞・助動詞を極端に省略した書きかたをしており、訓みの確定が困難な表記となっている。そのため、『六帖』編者が『萬葉集』を見た/見ないという問題を考えるに当たって有効な資料になると考えられる。
 『六帖』所収の略体歌は、『萬葉集』の伝本、特に次点本の訓と近似する場合が多く、両者の接近が想定できる。『六帖』所収萬葉歌の書承的性格を指示するものと思う。また、『萬葉集』の伝来史の側から見た場合に、十一世紀以前書写の伝本の残らない現状にあって、次点本の附訓が十世紀後半までさかのぼる可能性を示唆することをも指摘したい。


『播磨国風土記』揖保郡意比川条考 ―「相圧」の考察を中心に―

 『播磨国風土記』揖保郡意比川条は、神尾山に坐す出雲御蔭大神が交通妨害を行う説話としてよく知られている。このような当該説話において、意比川(圧川)の地名起源は、朝廷から派遣された額田部連久等々が、先の出雲御蔭大神に対して「相圧」という行動をとり、そのことより、「圧川」の河川名が名付けられたと語られている。今回、問題とする「相圧」という表現は、意比川(圧川)条の地名起源譚を理解するうえで重要な表現といえよう。しかし、当該条の「相圧」の理解については諸説ある。その主なものを例にあげると、「相圧」を、川中で儀礼的な押合し合いをしたものと解し、地名「圧川(おしかわ)を導くとしたもの(岩波大系等)、「相圧(お)しき」という強硬手段で一方的に鎮圧したと解し、「圧川(おしかわ)」を導くとしたもの(新編全集等)、柏を身にまとう行為「おそふ」と解し、「圧川(おそひかわ)」を導くとしたもの(山川出版社)などがある。
 本発表では、問題とする「相圧」について、上代文献における「圧」の用例分析や、『史記』等にみられる「相圧」の考察から、額田部連久等々が神尾山に坐す出雲御蔭大神を強硬手段によって、一方的に鎮圧した表現として理解したい。さらには、当該条を、同じ神尾山において交通妨害を行う神(出雲大神)が登場する佐比岡条と比較考察し、当該条は『播磨国風土記』の文脈中において、神尾山の神に対する朝廷の優位性を示す役割を果たしていると位置づけたい。


『古事記』の「焼津」考

 『古事記』のヤマトタケル物語の「焼津」は、久しく「焼遣」と校定されてきたため、ヲトタチバナヒメの歌の「さがむのをの」から、『延喜式』神名の相模国愛甲郡の小野神社の地としてきた。『日本書紀』は駿河国益頭郡の焼津神社を遺称地とする。しかし『延喜式』は、それ以前の文献に見える古跡に神社を置いたようで、そこが「焼津」の遺称地ではない可能性が大きい。
 『新編相模国風土記稿』足柄上郡中川村に、ヤケズという小名がある。今も生きていて、中川の谷の下流域の集落の地名である。『甲斐国志』によると、現在の山梨県道志村は『和名類聚抄』にいう都留郡相模郷で、中川村の方を「山相模」と呼び、富士山の東麓まで相模国であったという。道志村の地が相模国の分であったことは『日本後紀』延暦十六年に明証があり、相模という国名のもとになった小地名は、この「相模郷」しかない。
 『万葉集』巻三に、「焼津」と「駿河」を詠んだ春日蔵首の歌がある(二八四番)。古訓により「ヤキツヘヲ」と解すと、焼津の辺を通ると、駿河の児を思い出すとなり、中川村のヤケズのあたりまで来ると、目の前に足柄山が見え、駿河をしのぶことができる。道志川の谷から山を越え、中川の谷に出て、西の甲斐国や駿河国の地に行く人は、十年ほど前まではあったという。ヤケズは、交通の要衝であった。律令時代以前の東海道と私はみる。
 ヤマトタケルは帰途、足柄の坂を登り「あづまはや」といったといい、甲斐国の酒折宮の火たく老人を「東の国造」にしたとある。それは、タケルを火ぜめにした国造の後任者であろう。ヤケズを「焼津」とすると、物語の地理的環境は、きわめて密度が高くなる。中川を登って山を越え、道志川を船で下れば鎌倉までは水路で行ける。船を持って山を越える例は、『日本書紀』にもある。『万葉集』にいう「足柄小船」とは、そのための船であろう。



国語教科書の『万葉集』 ―佐佐木信綱をめぐる戦中・戦後―

 佐佐木信綱は、昭和十三年八月に刊行された『小學國語讀本 尋常科用 第十二』に『万葉集』に関する教材を執筆している。『万葉集』が初めて国定教科書の教材となったものである。信綱がこの教材を執筆した意図は「我が上代國民の心の聲をさながらきくべき古典籍」としての『万葉集』の普及にあったと言っているが、それを「萬葉精神」の「鼓吹」であるとも述べている(『萬葉清話』)。「萬葉精神」とは「我が國民性の優れた本質、特に雄大明朗の氣性」(『小學國語讀本』の編纂趣意書)の意。それを「小國民」に自覚させ、日本人であることの誇りを持たせることが学習の目的であった。国家主義的、民族主義的な教育のための教材である。
 戦後、国家主義的な言説は、もちろん払拭されたが、その根幹となる万葉観はそのまま引き継がれている。たとえば学校図書の『中等文学上』は、昭和二十五年から二十九年まで、中学校で使用されたものだが、信綱はそこに「万葉秀歌」という一文を寄せ、一○首の歌を紹介している。それは「おおらかに素朴な精神」「素朴な上代人の感激」「平明な調」「万葉人の精神の健康さ」といった言辞で覆われた解説である。現在の教科書で「ますらをぶり」と説明される通説的な理解に繋がるものである。その一方で、「作者は(中略)社会の全階級にわたっている」という定番的な説明の後に、「芸術文化の上には差別的な態度をとらなかった上代の民主的な社会思想を知ることができる」とも述べている。
 現在の国語教科書の万葉観は、どのような経緯で生まれたのか。それを改めて確認してみると、信綱の影響はやはり、少なくないと言わざるを得ない。したがって、信綱に注目することを通して教科書の歴史の一斑を確認してみることは、現在の教科書の『万葉集』がいかなる問題を含み持っているのかを考える上で、必要な作業であろう。それは、次の世代にどのように『万葉集』を伝えて行くか、という問題を考えることでもある。





注意事項 ・ お問合せ先


☆返信用ハガキ・費用について(会員)
・大会参加の申し込みは、大会案内同封のハガキ(皇學館大学文学部 大島信生研究室宛)に必要事項を記入して、
 4月27日(金)までに必ず届くようにお送り下さい。
・大会参加費〔1,000円 院生・学生は無料〕、懇親会費〔7,000円 院生・学生は5,000円〕、27日昼食代
 〔1,000円〕は、大会案内同封の郵便振替用紙を使用し、4月27日(金)までに必ず振り込んで下さい。
・26日の理事会に出席される方は、昼食をご持参、または済ませてお越し下さい。
・27日の昼食が必要な方は、事前に必ずお申し込み下さい。大学内食堂も閉まっており、大学周辺にも食事が
 取れるお店は僅かしかありません。

☆会員外の方のご来場について
・講演会・研究発表会ともにどなたでもご来場いただけます。なお、当日受付にて、会員外の方からは、大会参加費(両日分。資料代を含む)として1,000円いただきます。

☆出張依頼状について
・出張依頼状は、学会事務局(東洋大学文学部日本文学文化学科)に、提出先と職名を明記の上、返信用封筒に
 82円切手を貼ってお申し込み下さい。

☆大会に関する問い合わせ
 皇學館大学文学部 大島信生研究室
 〒516-8555 三重県伊勢市神田久志本町1704
 Eメール jodaitaikai2018@kogakkan-u.ac.jp
 【お問合せ】上代文学会事務局
 〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20
 東洋大学文学部日本文学文化学科
 菊地義裕研究室内
 Eメール jimukyoku@jodaibungakukai.org

 ※2017・2018年度(2019年3月31日迄)


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